今回のメルマガは弁護士の内田雅敏さんからの寄稿の後半です。「戦う覚悟」を持つべきだと先人の作り上げてきた「平和資源」を木っ端みじんに砕く麻生自民党副総裁、玉城県政をけん制するような九州大学教授の論考を一刀両断する明快な批判と指摘をした上で、私たちがどう向き合うべきか、大きなヒントをお示しいただいています。ぜひお読みください。
先人たちが創った「平和資源」を活用しよう
玉城知事の自治体外交に水差すな(2)
「愉快犯」麻生太郎
1月8日、麻生太郎自民党副総裁は、福岡県での国政報告会で、「台湾に戦っておいてもらわなければ、邦人を無事救出することは難しい」、「我々は潜水艦などを使って、台湾海峡で戦うことになる。しかるべき準備をしておかなければならない」等々語った。1月9日、在日中国大使館は、「日本の政治家が再び台湾問題で勝手なことを言い、中国の内政に干渉した」、「台湾独立分裂活動と外部勢力の干渉が台湾海峡を混乱させる最大の要因だ」、「(日本が)中国内政と日本の安全を結びつける考えに固執すれば、自国や地域に災難を招くだろう」と「強烈な不満と断固とした反対」を表明した。
麻生太郎は「愉快犯」か。何が何でも台湾海峡で事を起こそうとしているようだ。尖閣諸島領有問題を巡って挑発を繰り返した石原慎太郎都知事(当時)と同じだ。
2023年11月23日の沖縄県民大集会で前泊博盛沖縄国際大学教授が基調報告で語った「(ヤマトの)傍観者的好戦論と(沖縄の)当事者的非戦論」という言葉が思い起こされる。
前述した日中間の「平和資源」四つの基本文書において中国側は台湾問題に関し、一貫して「一つの中国論」を主張しており、日本側はこれを了承してきている(米国も同様)。72年日中共同声明に際して、田中首相は周恩来総理に、日中国交正常化により、日本は台湾と国交断絶をすることになるが、経済的、文化的な交流は引き続き行うと言明した。周総理は「結構です。大いにやってください」と答えたという。これは口約束であって文書には残っていない。98年の日中共同宣言では「日本側は、日本が日中共同声明の中で表明した台湾問題に関する立場を引き続き遵守し、改めて中国は一つであるとの認識を表明する。日本は、引き続き台湾と民間及び地域的な往来を維持する」と謳い込んでいる。
政権与党の麻生太郎自民党副総裁が、台湾に」「戦う覚悟」とか「戦ってもらわねば」などと発言するのは中国にも台湾も内政干渉となり、また四つの基本文書に反する。5月に予定されている台湾の新総統就任式に日本の政治家が出席するのも先のペロシ米下院議長の訪台と同様、中国共産党政権に対する挑発であり、日中間の四つの基本文書に反するものである。
玉城知事の自治体外交
1972年、日中国交正常化のために訪中した田中角栄首相(当時)は、初めて会った周恩来総理に「私は長い民間交流のレールの上に乗って、今日ようやく此処に来ることが出来ました」と語った。周総理は、レセプションで、「佐渡おけさ」を演奏させて新潟出身の田中首相を歓迎した。日中国交正常化はこうして始まった。いい話だ!
今、玉城沖縄県知事が米国、韓国(副知事を派遣)、中国、台湾と相次いで訪問し、沖縄における米軍基地負担の軽減等訴える自治体外交を展開しているのは地域の緊張緩和のために有益だ。
自治体外交に水差す益尾論考
玉城知事の自治体外交に、中国側の工作を云々し、水を差そうとする動きがある。2023年12月28日付毎日新聞、益尾知佐子九州大学教授「[沖縄独立論]中国の内政干渉を許すな」には驚いた。
同論考によれば最近の中国のメディア、論壇では「琉球帰属未定論」がかなり語られているという。これらの論議が中国指導部の了解のもとになされているとみることは中国という国のシステムからすれば当然だ。もっとも「帰属未定論」といっても、尖閣諸島(中国名釣魚島)問題とは異なり、中国側が沖縄の領有を主張しているというわけではないようだ。
中国側が言う、「沖縄帰属未定論」には、米・日・韓による対中国包囲網が形成される中で、米軍基地の重圧に呻吟する沖縄県と、これを放置し、さらにミサイル網等による軍事要塞化を進める日本政府との間に存在する「隙間」にくさびを打ちこもうとする中国政府の狙いが透けて見える。6月4日の「人民日報」は沖縄と中国の歴史関係を強調する習近平氏の発言を報じた。
2005年、小泉首相(当時)の靖國神社参拝と、日本の国連常任理事国入りの工作に反発した中国での「反日」デモで「愛国無罪」を掲げて日本の店舗を襲った群衆の中に「沖縄奪還」のプラカードがあった。何をいまさらと思ったが、これを見て、一部で〈尖閣で譲ったら次は沖縄だ〉と危機感が語られたのも事実である。
同論考は、玉城知事の中国、台湾訪問の自治体外交について、中国の「浸透工作」に乗せられるとし、「沖縄が中国の役割に期待するのは無謀だ」と述べる。
沖縄の日本復帰に際し異論を述べ、沖縄の住民投票を主張し、米国に一蹴された台湾の国民党蒋介石政権と異なり、大陸の中国共産党政権は、沖縄の日本復帰に異論は一切述べていない【追記】。
1972年5月15日、沖縄の日本「復帰」後の同年9月29日、の日中共同声明に際し、日中間には尖閣諸島(中国名「魚釣島」)の領有に関しては「棚上げ」とする合意があったが、沖縄の領有問題について中国共産党政権が言及したことはない。同声明第6項は、沖縄の日本帰属前提の下に、両国間の「主権2及び領土保全の相互尊重、相互不可侵」を謳っている。
益尾論考は中国が「大規模な反日国際会議でも仕込んでいるのではないか。警戒すべき動きだ」という。玉城知事ら沖縄県民は、憲法95条「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することが出ない」、
13条「幸福追求の権利」、14条「法の下の平等」の精神に基づいて日米両政府に基地負担の軽減を求めているのであって、反日、反米で対峙しているわけではない。
益尾氏は、「沖縄が中国の役割に期待するのは無謀だ」とでなく、沖縄県と日本政府との間の米軍基地建設問題を巡る隙間にくさびを打ち込もうとする中国政府に対し、「中国が沖縄の役割に期待するのは無謀だ」と書くべきである。同時に、繰り返し表明されてきた沖縄県民の民意を無視し、「辺野古が唯一の解決策」として前記「隙間」を埋めようとせず、「代執行」にまで走る日本政府の振る舞いに対し警告すべきである。
【注1】 台湾武力侵攻
「台湾有事」の根拠として2022年10月25日、第20回党大会における習近平演説が引用されるが、同演説で述べた
「但決不承諾放棄使用武力」(ただし決して武器使用を放棄はしない)というフレーズは、3万2522文字中のわずか11文字であり、その前後で「何としても平和統一を目指す」とし、「武器を使用しなければならないのは外部勢力の干渉や、一部の台湾独立分子を対象としたもので、決して広大なる台湾同胞を対象としたものではない」と述べている。
なお、「決して武器使用を放棄しない」という言葉は、台湾和平統一を提唱し始めた後も、鄧小平、江沢民、胡錦涛、温家宝も繰り返し述べてきた常套句であり(遠藤誉『習近平が狙う「米一極から多極化へ」』)習近平だけが言っているわけではない。
【注2】日中間の四つの基本文書で語られたこと
1972年9月29日、田中角栄首相と周恩来総理による日中共同声明から50年。同声明は「日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。両国国民は、両国間にこれまで存在していた不正常な状態に終止符を打つことを切望している。戦争状態の終結と日中国交の正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を開くこととなろう」(前文)とエールを交換し、「日本側は、過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し深く反省」(同)し、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国領土の不可分一部であることを重ねて表明し」(3項)と、台湾を含めて「一つの中国」論を主張し、日本国政府は中国政府のこの見解を尊重するとした(同)
更に、互いに覇権国家とならないことを誓いあった(7項)。 尖閣諸島の帰属についても棚上げとする合意がなされた。四つの確認と一つの合意である。
この基本姿勢は、その後の日中平和友好条約(78年)、日中共同宣言(98年)、「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する日中共同声明(2008年)でも繰り返し確認された。78年の平和友好条約締結当時、激しい「中ソ」対立があった。当時の中国側の責任者鄧小平は、反覇権条項は、ソ連(当時)を念頭におくものであるとして渋る日本側を、「反覇権条項は将来、中国が覇権国家にならないためにも必要なのだ」とまで言って説得した。すでに74年、鄧小平は、国連総会において演説し、「中国は覇権国家とはならない。もし中国が覇権国家となったならば、世界の人民は、中国人民と共にその覇権国家を打倒すべきである」と啖呵を切っていた。
戦狼外交の中国に対して、鄧小平の反覇権論をぶつける、これが外交ではないか。
内田雅敏(弁護士)
※本稿は沖縄タイムス文化欄に掲載された2024年1月25日の論稿に加筆修正したものを内田さんのご承諾を得て転載したものです。