メルマガ142号

沖縄は6月23日、「慰霊の日」を迎えます。
県民にとって6月は「鎮魂の月」と位置付けられ、地元紙の琉球新報、沖縄タイムスには戦没者への追悼の思いや、反戦平和の願いを込めた数多くの読者投稿が寄せられます。今回はそのいくつかを紹介します。

慰霊の日を前に~県民の声から

ティータイム「慰霊の日になぜか『月光』が」 宜野湾市 70歳 琉球新報 6月21日
 沖縄戦終結から78年。 当時、8歳の姉と2歳の兄は戦争がなければ86歳と80歳。家族や親戚含めて摩文仁に避難する中で、砲弾の破片が当たり、幼子2人が母親の目の前でなくなった。
 私の3人の孫より幼い。親族含めて7人が亡くなった。残酷だ。戦争が憎い!悲しくて、哀しくて…。
 兄の顔写真は一枚もない。兄の顔も知らない。唯一、姉の写真はあり、当時の顔を思い浮かべることはできる。幼いけど、美しい姉の顔。
 慰霊の日は亡き姉、兄を思い出すと息ができないほど苦しくなる。(略)
 ただ今は、平和を願うばかり。毎年、慰霊の日に平和の礎に刻銘された姉、兄の名前を見ると、自然と涙が出る(略)
 正午の時報に合わせて黙祷を終え、昼なのになぜかベートーベンの「月光」のメロディーが流れているように聴こえる。(略)
 やがて子どもや孫の明るい未来が必ず来ることを信じて。そして、子どもや孫に伝えていきたい。平和の尊さを。

 声「平和を考えていきたい」 豊見城市 小6  琉球新報6月20日
 私は平和学習で平和祈念資料館に行きました(略)
平和のいしじには戦争で亡くなった人の名前が刻まれていました。中にはアメリカ人や台湾人、韓国人もいて、本州の人たちの名前も刻まれていました。(略)
 最後に海を見ました。海はとてもキレイですが、78年前はこの海で自決した人たちや、海からアメリカ軍が来たと思うと、心がいたくなりました。
資料館に行って、改めて平和の大切さや戦争のこわさが分かりました。これからも平和について考えていきたいと思いました。

 声「あらためて平和考えたい」 中2  琉球新報 6月19日
 2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻を開始しました。最初は日本に関係ないと思っていました。しかし、アメリカや中国が参戦すれば、米軍基地がある日本も戦いに巻き込まれると思います。
 起こらないと思っていても、ウクライナ戦争が起きたのです。第3次世界大戦が起こっても不思議ではありません。
 大戦から78年。戦争体験者が少なくなりつつある今、僕たちは改めて平和とは何か考えないといけません。

 声「御霊を追悼する日」 那覇市 83歳  琉球新報 6月19日
(略)慰霊の日が近づくと、太田実中将の「沖縄県民斯ク闘ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」の電文を思い出す。中将は県民に対し、心から「すまぬ」と思ったに違いない。(略)
 昨今、戦前回帰の風潮があり、気になるところである。戦争は決して起こしてはならない。慰霊の日は全県民が戦没者の御霊に哀悼の誠を捧げる日である。

声 「戦時の三等国民」 那覇市 72歳 琉球新報 6月19日
 10・10空襲直後、武部隊として台湾に配備された父から部隊長の最後の訓示が「日本人は一等国民、10・10空襲で戦火を消そうともせず逃げ回った沖縄人は四等国民に近い三等国民だ。奮起せよ」であったと聞いた。(略)
 昨年、10・10空襲を取り上げた本紙の記事に次のような記述があったので紹介する。「本部町に配備された日本軍の独立混成第15連隊は『陣中日誌』で10・10空襲について報告している」。住民は「一般に無知にして気迫に乏しく動揺しやすき民情」「傍観するばかりで消火活動をせず、流言にも同様が激しいため教育の必要性を要する」(略)
 教育を要するのは10・10空襲前夜、波の上の料亭で大宴会を催した将校たちと悲惨な戦争を始めた政治家たちではなかったか?
 
声 「恒久平和へ一人一人が声を」 八重瀬町 78歳 沖縄タイムス  6月20日
23日の「慰霊の日」がやってくる。今年も全島が戦没者を追悼し、冥福をささげる悲痛な日である。
戦争のにおいや軍靴の足音が聞こえる今、われわれは世界の恒久平和を希求し「二度とあの忌まわしい戦争があってはならない」ことの歯止めが急務だ。一人一人が叫び声を上げる時だ。
現下、戦争体験者の語り部が減少する中、風化させないための施策が求められる。(中略)
この日が来るたびに、私たちは戦中、戦後と日本本土と異なる特別な体験を持つ郷土沖縄のことに、熱い願いと思いが及ぶのだ。

声 「沖縄戦の記憶 未来に伝える」 読谷村 中3 6月20日
僕の知っている青くてきれいな海、これは沖縄が誇る県の象徴だと思います。(中略)
では今から78年前の沖縄は、どんな風景だったのでしょうか。爆弾が何発も撃ち込まれた島は炎で包まれて、今ではきれいな沖縄の海もきっとこの時ばかりは酷いものだったと思います。
でも自分も含めて今沖縄に暮らしている子どもは、戦争のことを知らなさすぎます。実際に体験したことはなくても、この悲惨な出来事を二度と繰り返さない、繰り返させないためにも、次に生まれてくる子どもたちに、このことを伝え継いでいくのが、自分たち世代の使命だとぼくは考えます。

声 「互いに理解し合う慰霊の日に」 宜野湾市 52歳 沖縄タイムス  6月16日
23日は慰霊の日。糸満市で沖縄全戦没者追悼式が行われる。毎年、首相や衆参両院議長が式典に参加する。追悼式にあたって、二つのことを希望したい。
一つは、中央の政治家や在沖米軍関係者が多数参列すること。(略)
もう一つ。過去、参列した菅直人、安倍元首相らへやじが出た。さまざまな考えがあったとしても、式典は静粛に厳かに、である。互いの違いを乗り越え、理解し合う23日を希望する。

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