メルマガ19号

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第19号は豊下楢彦さん(元関西学院大学供述 国際政治論・外交史)の原稿です。
それでは、ぜひご覧ください。

ウクライナと「破滅への道」

かつて米軍は「北ベトナムを石器時代に戻してやる」と公言し、全土の焦土化にむけて沖縄を拠点に第二次大戦時を越える無差別空爆作戦を三年間にわたり展開したが、この未曾有の戦争犯罪を想起させる事態がロシアの侵略によって生じている。ウクライナにおける「非人道的な大惨事」は国際社会に大きな衝撃を与え、欧米諸国では軍備増強に拍車がかかり、日本では「核共有論」さえ提唱されるに至った。これは、米国の戦術核を日本に配備し共同運用するという構想であるが、核兵器は「核密約」の対象となった沖縄に配備されるであろうし、沖縄の一部が占領された場合には戦闘機が沖縄県内に核を投下するという恐るべきシステムである。さらにこのシステムは実質的には米国が管理するから、仮にトランプが大統領に再選されれば日本の運命が「トランプとの核共有」に委ねられるという、悪夢のような事態が現実のものとなる。議会襲撃を煽りプーチンを称賛するトランプの再選可能性は、自由と民主主義の「価値の共有」という日米同盟の根幹を揺るがすことになろう。

◆核武装と敵基地攻撃

こうした事態を先取りして日本の核武装を説くのが歴史人口学者のエマニュエル・トッドである。彼は、「核共有」の概念も「核の傘」もナンセンスで幻想と断じる。なぜなら、中国や北朝鮮が米国本土を核攻撃できる能力があれば、「米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ない」からである。こうしてトッドは、日本が自ら核を保有する以外の「選択肢はない」と主張する。しかし、トッドの議論の致命的な問題は、日本が核武装するためにはNPT(核拡散防止条約)から脱退せねばならず、仮に日本が脱退すれば核保有を求める多くの国々も追随しNPT体制は崩壊する、という「悪の連鎖」を全く認識していないところにある。
それでは、日米同盟が危うさを抱え核共有も核武装も「幻想」とすれば日本は、イージス・アショアの破綻以来強調されるようになった独自の敵基地攻撃能力の開発に邁進すべきであろうか。これは、敵基地や中枢に反撃を加える能力を日本が獲得し誇示することによって敵の攻撃を抑止する、という構想である。しかし、日本が極超音速ミサイルを保有する頃には相手側は「極極」超音速ミサイルを開発するであろうから、どこまで行っても抑止にはほど遠い。さらに何より、中国を念頭においた場合、仮に台湾が独立を宣言すれば中国はいかなる犠牲を払っても軍事侵攻するであろうというのが専門家の一致した見方であり、ここでは抑止は全く機能しない。中国に対する見方が余りにも“甘い”のである。しかし逆に言えば、問題の核心が独立か否かという、すぐれて政治外交的な問題にあることが確認される。

◆軍縮アジェンダ

いずれにせよ、ウクライナの「非人道的な大惨事」から引き出すべき教訓は軍拡しかないのであろうか。ここで想起されるべきは、「無秩序で際限ない軍拡競争」が人類や地球に「壊滅的な結末」をもたらすであろうと世界に向けて警告を発した二〇一八年の国連「軍縮アジェンダ」である。そこでは国連が取り組むべき「課題の核心」として、核兵器や生物・化学兵器などの大量破壊兵器や宇宙の軍事化に対処する「人類を救う軍縮」、破壊力を増した通常兵器の氾濫による膨大な市民の犠牲に対処する「生命を救う軍縮」、さらにはAI兵器やサイバー攻撃など「ゲーム・チェンジの兵器」に対処する「将来世代のための軍縮」が掲げられている。驚くべきは、これら三領域の軍縮の課題が、今日のウクライナで悲劇的に凝縮されて日夜眼前に示されていることである。つまり、無秩序で際限ない軍拡競争こそがウクライナの悲劇をもたらしたとも言える訳であって、さらなる軍拡は人類の「破滅への道」を掃き清めるものとなろう。

◆脅威兵器の配備

それでは、ウクライナの問題から軍拡ではなく軍縮の方向に歩みを進める何らかの糸口は見いだせないであろうか。それは皮肉にも、ウクライナのNATO加盟阻止を主張するロシアが提起した、「近隣領域に脅威となるような兵器を配備するな」という要求に求められるであろう。ロシアにこそ問い返されるべきこの要求は、仮にキューバにロシアのミサイルが配備されるならば、米国も同様の主張をなすであろう。さらに何より、多くの中小国こそが大国や隣国に向けて発するべき死活的な要求である。
問題は日本にも及ぶ。沖縄に米国の核ミサイルが配備されるならば、当然中国は「脅威となる兵器を配備するな」と強硬な対応に乗り出すであろう。こうして沖縄は、再び戦場化の危機に晒される。もちろん日本側は、そもそも中国が「脅威となる兵器を配備しているではないか」と主張するであろうし、中国側は在日米軍基地を軸とした米国の軍事戦略こそが「脅威である」と反論するであろう。しかし重要なことは、こうした互いの「脅威認識」をめぐる論争が、兵器の配備をめぐる相互規制や軍備管理、さらには軍縮の方向への道筋を開く可能性を孕んでいることである。
もちろん、この道のりは果てしない。しかし、原発も攻撃対象に据えられ核使用の可能性さえ危惧されるウクライナ危機は、「壊滅的な結末」の到来という「軍縮アジェンダ」が警告を発した予測が目前に迫りつつあることを示しており、「新たな観念とモーメント」が求められていることは間違いがない。いま東アジアではASEAN諸国に示されるように、米中対決の構図に巻き込まれたくない、距離をとるべしという動きが強まっている。求められているのは何よりも緊張緩和であり、この政治外交的な課題にこそ軍拡を軍縮に向けて逆回転させる契機がある。奇しくも沖縄返還五〇年に際し、東アジアの「軍事の要石」と位置づけられてきた沖縄を再び「核の島」とするのではなく、全く逆に、内外世論の高まりを背景に沖縄を拠点として、「互いに脅威となる兵器を配備しない」「軍拡こそが脅威なのだ」という新たな軍縮の潮流を東アジアで生み出していく、そういう道筋を展望したい。言うまでもなく、この「人類の破滅」を脱する道筋に踏み出していく責務は、戦後の長きにわたって沖縄に犠牲をおしつけてきた本土が担わねばならない。

豊下楢彦(元関西学院大学教授、国際政治論・外交史)
※5月3日琉球新報文化面に掲載された原稿を豊下さんの承諾を得て掲載させていただきます。

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