メルマガ56号

今回のメルマガは平和の詩の紹介と論評です。今年の宮古島市戦没者追悼式で西辺中学3年の上原美晴さんが朗読した「Unarmed」は、「私達は弱いから 先に武器を置こう」と呼びかけました。沖縄は弱い。米国や日本の圧倒的な力に組み伏され軍備を背負わされています。それでも「弱いから 先に武器を置こう」という上原さんの言葉は、伊江島の阿波根昌鴻さんの「非武」の精神に通じると考え、詩人で小説家の大城貞俊さん、俳人のおおしろ建さんにを寄稿していただきました。
 上原さんの詩は、弱さを乗り越え、「私達は強い だから今日も 揺るぎなく平和を願っていよう」と結びます。私達は負けません。「命どぅ宝」の精神を受け継ぐあたなたちのためにも。大城貞俊さん、おおしろ建さんの論評を紹介し、「二度と沖縄を戦場にしない」、「二度と日本は戦争をしない」、その誓いを県民、国民に呼びかけます。
 上原美晴さんの詩の全文は「沖縄県平和祈念資料館」ホームページの「第32回『児童・生徒の平和メッセージ』入賞作品公開」をクリック、「令和4年入賞者一覧」の「詩部門」をクリックすれば読むことができます。http://www.peace-museum.okinawa.jp/heiwagakusyu/hassin/message/r4/shi/chugaku%20yushu%20ueharamiharu.pdf

時評/平和を祈る二つの詩から
「武器を置く」二つの詩の間から

読む者に激しい痛みと勇気を届ける詩、それが「Unarmed」(=武器を置く)だ。(以下「武器を置く」と表記する)
 77年前の沖縄戦では多くの県民が犠牲になった。死者たちの無念の言葉を拾い上げる。それが平和を作ることに繋がる。そう信じて私たちは土地の記憶を紡いできた。同時に生者の言葉にもまた力強い言葉があるのだという感慨を、私は今、忸怩たる思いで振り返っている。
 この詩を書いたのは宮古島市立西辺中学校3年生の上原美春さん。彼女は昨年度「沖縄全戦没者追悼式」で平和の詩「みるく世の謳(うた)」を朗読した。「武器を置く」は一年後の詩だ。
 「みるく世の謳」は、多くの人々を感動させた。「六月の蒼天」に「みるく世」を願ったメッセージは、ピュアで真っ直ぐな言葉が印象的だった。
 「武器を置く」は今年の宮古島市の「戦没者追悼式・平和祈念式」で朗読された。だが私と同じように多くの人々がこの詩に触れる機会を失していたのではないか。近々に触れ得た私は驚き、痛々しい少女の心に触れ多くのことを考えさせられた。
 昨年度の「みるく世の謳」の朗読後、彼女は多くの人々から賞賛と拍手を得たが、他方で誹謗や中傷に苦しめられていたのだ。詩の中で彼女は次のように記している。
「私の心を刺したのは/ナイフのような言葉の数々/悔しくて悲しくて痛くて痛くて」「偽善者だ/お前が戦争に行けばいい/お前が死んでしまえばいい/そんなことを言われた」のだ。
 しかし、彼女は負けなかった。様々な感情と沈黙を経て言葉を紡ぎ出したのだ。「武器を置く」には、痛みを乗り越えた彼女の万感の思いが込められている。他者の痛みと悲しみを自分の心に住まわせた後の言葉が紡がれたのだ。絶望の中で出会ったおばあの言葉「武器を置く」は、彼女の希望の言葉になる。彼女は自分の言葉を立ち上がらせ勇気を手に入れていく。
「私は弱い/沢山傷ついて/傷つけようと思った/何度も逃げて/立ち向かうことを放棄した/それでも武器を置きたい/傷ついたから/人の痛みが分かるから/何リットルも涙を流したから/武器を置くことを/私の強さと呼びたい」
 詩の言葉は悲しみの極地から放たれる言葉こそが強いのだ。きりきりと絞った思考の先に放たれる言葉、それは自分の身体をもブーメランとする言葉だ。
 「武器を置く」は沖縄戦を悼むだけでなく、平和を願う普遍的な高域に達した詩のように思われる。ここに到達した彼女の頑張りを賞賛したい。私たちこそが励まされる詩だ。
 「~すべき」は高慢な大人の思想だろう。揺れ動くことこそが人間の常態だ。戦争も平和も自明なこととせず考え続けること。このプロセスの中にこそ誇りとする人生がある。作者は臆することなく自らの営為を讃えていい。私たちは、みんな「今、ここに」生きているのだから。(2022年8月9日 琉球新報より転載)

大城貞俊(作家・ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 設立呼びかけ人)

若い詩人に宿る強い魂 「Unarmed」に感銘

ピュアな感性と強い魂を持つ若い詩人の誕生を感じさせる詩、それが「Unarmed」だ。興味を持ったのは、故郷の宮古島からの便りだった。今年の慰霊の日に宮古島市で開かれた「戦没者追悼式」で西辺中学3年生の上原美晴さんが自作の平和の詩「Unarmed(アンアームド・非武装」を朗読したとの新聞記事だ。記事からは、誹謗中傷のバッシングから立ち上がってきた者の「強さ」を感じた。
 詩は「偽善者だ/おまえが戦争に行けばいい/おまえが死んでしまえばいい/おまえが/おまえが」から始まる。上原さんが昨年、浴びせられた言葉の一部だという。昨年の慰霊の日に、上原さんは摩文仁で開かれた「沖縄全戦没者追悼式」で平和の詩「みるく世の謳」を朗読した。動画も見たが、落ち着いた朗読でよかった。詩は人々を感動させた。その後、多くの称賛と拍手を得たが、一方では誹謗や中傷を受け、苦しんできた。
 詩は次のように続く。「私の心を刺したのは/ナイフのような言葉の数々/悔しくて悲しくて痛くて痛くて」「この痛みをどう解らせてやろう/私は悪くない/あいつが/あいつらが/そんなことを考えた」
 言葉が突き刺さる。どこかで他者の所為にしたい。他へ転換したい。人はどこかで思う。「私は悪くない」と。「おまえが/あいつが」「そんな気持ちが/争いの種になるんだろうか」「そんなどす黒い雨が」「種を育ててしまうのだろうか」。
 思いがけない攻撃の言葉に、「どす黒い雨」が襲いかかる。だが。彼女は負けはしない。さまざまな感情が渦巻く長い沈黙の後、力強く復活する。日本復帰50年を迎えた今年、インタビューでのおばあの言葉が救いになる。「どちらも/武器を置きなさい」。むごく辛い沖縄戦を、絶望を体験したであろう、おばあの平和を願う言葉が耳に焼き付いたという。痛みや悔しさ、悲しみを超えた境地が「武器を置く」に集約されたのだろう。
 「私は弱い/沢山傷ついて 傷つけようと思った/何度も逃げて/立ち向かうことを放棄した/それでも/武器を置きたい/傷ついたから/人の痛みが分かるから/何リットルも/涙を流したから/武器を置くことを/私の強さと叫びたい」と紡ぎだす。
 さらには、戦争を起こした人類へ宣言する。「人間の弱さが起こした過ち/相手を傷つけることでしか/自分を守れなかった/弱い私達の過去/だから武器を置こう」「『命どぅ宝』と言いきれる勇気を/私達の強さと叫びたい」と。詩人の大城貞俊氏は「Unarmed」を「非武装」ではなく、「武器を置く」と訳している。詩の内容からすれば、それは正しい訳だと納得できる。
 便りはもう一つある。それはめでたいことだ。上原さんの詩「みるく世の謳」は、第1回ひろしま国際平和文化祭で「ひろしまアワード」音楽部門国内の部を受賞した記事だ。「どす黒い雨」の中を抜け出した、満面の笑みの写真があった。(2022年9月7日 沖縄タイムスより転載) 

                               おおしろ建(俳人)

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