メルマガ269号

今回のメルマガは新聞に寄せられた沖縄の声です。戦争を許さない思い、軍事強化への不安と怒り、平和への強い思いがひしひしと伝わってきます。ぜひお読みください。

沖縄の声 6月16日~18日

6月16日 琉球新報論壇 ひめゆり平和祈念資料館館長 
「沖縄戦の記憶に向きあおう」
 (略)沖縄でも「台湾有事」を巡って「沖縄有事」が取りざたされているが、「突然、台湾有事を言いだしたのは誰か」「日本へミサイルや戦闘機を売りつけることによって利益を得るのは誰か」「自衛隊を前線に押し出そうとしているのは誰なのか」を問い直してみる必用があるのではないか。(略)抑止力という論理に取り込まれ、私たちが住む沖縄が戦場になったらいったいどういうことになるのか、今こそ苛烈な地上戦の場となった沖縄戦の記憶に向き合うことが求められている時はないであろう。
 (久米島出身のひめゆりの)生徒9人のうち5人が沖縄戦で亡くなり(1人は戦争後遺症で戦後死亡)、4人が生き残った。生き残った富村都代子さんと照屋信子さんは戦後、ひめゆり資料館の建設に尽力し、会館後は証言員として来館者に戦争体験を伝える活動を続けた。その原動力になったのは、亡くなった学友への思いと二度と戦争を起こしてはならないという決意だった。
 資料館で上映されている映像の中で、富村さんは「戦争が終わってみると、負けた方も勝った方も人間がたくさん死んだということだけで、何も得したものはないんじゃないか」とメッセージを伝えている。
 ウクライナやガザで激しい戦闘が続き、大切な命が奪われ続けている今こそ、沖縄の軍事化が進んでいる今こそ、肝に銘じたい言葉だ。

6月16日 琉球新報 ティータイム 沖縄市 70歳 男性
「心を開いて話せばよかった」
 (略)父が亡くなってはや20年近く。父は帽子職人だった。ご多分に漏れず、仕事一筋、寡黙な人だった。
 私は30年ほど前、当地(沖縄)に移住した。父に「沖縄にも一度来てくれよ」と何度か話したことがある。だが父はその都度「飛行機には乗りたくねえ」とかたくなに拒んだ。(略)父は戦争体験者だ。南方に行ったことだけは聞いたことがあるが、それ以上のことは何も話さなかった。糸満には戦没者の慰霊碑がある。当然、父の出身地である千葉の碑がある。「そこに案内するよ」と言っても「行きたい」とは決して言わなかった。
 親子であろうと全てが通じるわけではない。だが、飛行機に乗れない想いはもっと考えるべきだった。誰にも語れない「戦争に対するつらい思い出」があったかもしれない。(略)
もう少し優しく「一度遊びに来てよ」と言えたはずだ。今、このことが悔やまれてならない。

6月17日 沖縄タイムス 宜野湾市 69歳 女性
「沖縄を戦場にしないために」
 先島の台湾有事の際の非難先について、政府の内閣官房が九州地方知事会議で具体的に設定案を示したそうです。沖縄は再び戦場になることを想定しています。「民主」主義と言いつつ、政府が支配しているように思えます。
 かつての沖縄戦で、ひめゆり学徒だった母の友人たちが、目の前で次々と亡くなった痛み…。砲弾で多くの住民の命が奪われ放置された地獄同様の残酷さ。
 あの時、どうして沖縄が戦場にされたのか。(略)また同じような歩みが、今進められています。(略)一部の人の考えに惑わされず、それらのからくりを一つ一つしっかりと見て、諦めずに、戦争になりそうな動きに、小さくてもそれぞれの方法で反対していくことが大切だと思います。(略:)

6月17日 沖縄タイムス 東京都 42歳
「沖縄の視点で見る特攻作戦」
 本紙で長期連載中の「語れども語れども・うまんちゅの戦争体験」に昨年、米軍艦隊めがけて特攻機が次々突っ込んでいく様子を丘の上から見ていたという女性の証言が載っていた。「かわいそうに」と思ったという。
 神風特別攻撃隊。いわゆる「特攻」は戦争の話の中でも向き合い方がとても難しい。国家による自殺の強制とも言えるが、戦争映画では特攻隊員たちを純度の高い青春群像劇として描く傾向がある。最近ではゴジラ映画でも特攻が物語の軸になっていた。
 ただ僕はその女性の証言を読み返すうちに気付いたことがある。戦争末期、特攻隊は主に沖縄方面に向かった。つまり、特攻作戦は沖縄戦の一部といえる。なのに、そこだけを切り取り、良くも悪くも熱く語れるのは、本土の視点が働くからではないか。
 特攻隊の話は地上戦に触れることなく物語が完成する。隊員を思って胸が熱くなるのは人情だが、沖縄の視点を合わせ、複眼的に考えたい。

6月18日 沖縄タイムス 茶のみ話 沖縄市 66歳 男性
「本土復帰と少年とロック」
 1957年生まれの私がコザに住んでいた高校生の頃、72年5月15日の本土復帰を軸に沖縄は大きく揺れ動いていた。ベトナム戦争の真っ最中で米兵たちは荒れそのたびに米軍は基地の外に出ることを禁止した。先の見えない不安に駆られていた少年の私に、元気をくれたのはそのころにはやったハードロックだった。(略)
 復帰の年の10月にも米兵による軍従業員へのライフルによる射殺事件が起こった。変わらぬ不条理な出来事に、私はロックを聞きながら涙した(略)。

6月18日 琉球新報 論壇 那覇市 88歳 男性
(略)「沖縄戦の風化と継承 伝える取り組みこれからも」
 沖縄戦において、日本軍は作戦遂行のために自国民をも犠牲にしたことは知られている。国家と国民を守るために戦うのが本来の兵士である。しかし、作戦遂行にあたって軍は住民に「共生共死」を強要した。その中にあって、「沖縄の言葉(方言)」を使う者はスパイと見なし処分する、といった住民蔑視の内規を司令部は定めた。そのため、住民が犠牲になったことは後世の人たちにも伝えなければならない。
 さらには、国家が本土決戦への時間稼ぎとして「捨て石」作戦をとったことはこの地で犠牲となった住民と日本兵全てに対して、戦後の私たちが記憶すべきことだと言える。
(略)沖縄戦について子供たちは毎年、慰霊の日(6圧23日)を中心とする学校での特設授業で学ぶ。新聞などのメディアは新たな事実を掘り起こして特集を組んで発信する。沖縄戦体験者が少なくなる中で「沖縄戦の風化と継承」が折り重なるように進んできた。継承の取り組みを絶やすことなく続けたい。

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