今回のメルマガは、仲松典子さんからの寄稿です。タイトルは「君は戦争に行くのか」。仲松さんご自身が現場で向き合った機動隊や海保の隊員を通じて、組織と個人のありようについて鋭く衝いたコラムです。ぜひお読みください。
君は戦争に行くのか?
孫へのプレゼントを探しながら見つけた絵本。「戦争をやめた人たち」。表紙の柔らかな焦げ茶色のコンテ絵は、塹壕にうずくまる一人の兵士の姿だ。
第一次大戦時のクリスマス、塹壕の中の兵士たちは敵側の塹壕から聴こえてくる「きよしこの夜」の合唱に、自分たちも思わず唱和した。言葉は違うが意味は分かる。彼らは互いに塹壕から飛び出し、抱擁しあい、家族の写真を見せ合った。クリスマスが終わり、彼らは互いの塹壕に戻った。
立ち読みしながら涙が出た。戦争をしたいのは誰なのだ?
AI軍事技術は、「敵国」兵士の素顔を見ることはない。
辺野古や高江でトコトン実感したのは、「権力組織」に国民の声を聴く耳はない、ということ。何を言ってもムダ。石垣でも同じだった。能面のような「機動隊員」は眉一つ動かさず粛々と持ち場を守り、「国民」を排除する。
しかし、こんなことがあった。県外から高江に押し寄せた機動隊員に脇を固められながら歩く村の中、米軍の射撃音が響く。「あなたの故郷の日常でこんな音聴こえる?」隊員は明らかに動揺していた。こんな経験はないはずだもの。中隊長らしい隊員と1対1で出くわしたことがあった。話すうちに、最初は居丈高だった彼がぽろぽろと自分の家族のことを語り出した。嬉しそうに、やっと恵まれた息子のこと。そして別れ際、彼は言った。「誰かが始めないと、だめですね・・」と。こんな隊員が何人かいた。最敬礼して道を開けてくれた人、帽子をとって深々と礼を言ってくれた人。「すみません、自分にはここまでしかできません。」と言って対応を変えてくれた人。彼らが出会った沖縄の人々は「暴徒」などではなかった。
辺野古では、カヌーメンバーと話すうちに仕事を変えた海保の青年もいた。
組織の縛りから離れたとき、彼らは自分を取り戻す。私は、一人一人の彼らと繋がりたい。
国の組織が耳を塞ぐのは外部に対してだけではない。自衛隊内部のパワハラ・セクハラの酷さを伝える諸々の報告からは、それらの事態を黙殺し、隠蔽しようとする「組織」に潰されていく個々の隊員の姿が見える。総理官邸での機動隊員の拳銃自殺を報じる記事があった。彼に一体何があったのか、知る由はない。
最後の一人まで戦わせようとするウクライナは何を守りたいのだろう?少子化対策と言う一方で若者を戦争に向かわせる「日本」の行きつく先はどこだろう?
君は戦争に行くのか?
仲松典子(土地規制法の廃止を求める県民有志の会共同代表)
仲松典子さんの論壇いつも共感し、切り抜きしています。小さい島々まで軍事基地をおき、島の人々の分断をしていることに怒りしかありません。セイジにもがっかりです。テレビのバカ騒ぎを横目になんとなく、不安を抱えて生活しています。孫たちの世は不安の無いいい時代であってほしい。