今回のメルマガは仲松則子さんからの寄稿です。「銃口から平和生まれない 戦闘訓練で子ども教育」というタイトルに、仲松さんの現状に対する憂いと希望がこめられています。ぜひお読みください。
「銃口から平和生まれない 戦闘訓練で子ども教育」
銃を構えて伏せる子ども達の姿に仰天した。内乱に明け暮れる途上国ではない。日本の話。公共施設で子供向け戦闘訓練、と報道にある。検索すると、某法人による小・中学生向けのサバイバルスクールで、銃は勿論おもちゃではある。元レンジャー隊員が作った教育メソッドで元自衛官が指導し、自衛隊行事にも参加する。礼儀・逞しさ・思いやりを大切に、生き抜くための様々な経験をすることで自信をつけ、人への優しさも生まれるのだと。サバイバル、キャンプ、子ども達が喜びそうな課目が並んでいる。戦闘モノのゲームやテレビに魅せられる年齢の男の子には受けること間違いなしだろう。
しかし、銃を構えるには「敵の存在」が前提だ。そういう教育が「人への優しさ」を育むだろうか。
以前、人間らしい感覚を失っていく海兵隊の新人訓練の映像を観た。ベトナムへの発進基地となった沖縄のバー街では、戦場に送られる前夜、持金をばらまいて荒れる米兵の姿があった。悲惨な事件も起きた。帰還兵士は凄まじいPTSDに蝕まれ、家族まで崩壊させる。ベトナム戦後、徴兵制を廃止した米軍は慢性的兵士不足の解消に、強盗・レイプ等犯罪歴のある者が入隊すれば犯罪歴を免除するそうだ。
少子化の日本。防衛省は自衛官確保に躍起だが、子どもに銃をとらせるビジネスの出現には驚く。戦中の兵士不足を補うために子どもに竹やりを持たせた軍事教練を彷彿させる。
自衛隊風メソッドで教育するならば、自衛隊が共同訓練をする米軍の実態も教えるべきだろう。有事、自衛隊は米軍の指揮下に入るのだから。今後100年間、災害や有事もなく平和に生きていけるだろうか、とそのスクールは問う。災害対応に銃がいるか?100年もの間、「有事」を起こさない知恵を絞る気はないのか。
先日、「ぞうれっしゃがやってきた」の合唱を聴いた。涙が出て仕方がなかった。戦時下、軍は動物園の動物たちを次々と殺していく。銃殺、毒殺。飢えと寒さに死んでいく象たち。園長の必死の抵抗でやっと生き残った2頭の象。その象に会いたいと願う子ども達のために、特別仕立てのゾウ列車が走る。歌ったのは親達、おじいちゃんおばあちゃん世代。合唱を支えたのはジュニアオーケストラの子ども達。
子ども達が平和に生きていく力をつけるために、大人はどのように手助けできるだろうか。銃口から平和は生れない。抑止力は軍拡競争に過ぎない。
仲松典子(当会運営委員)
※本稿は仲松さんのご承諾を得て、2025年7月26日の沖縄タイムス論壇を転載したものです。