メルマガ312号

今回のメルマガは弁護士の内田雅敏さんからの寄稿です。週刊誌モーニング連載の「社外取締役 島耕作」での辺野古抗議活動に対するデマ中傷がいかにおかしいものかを具体的な論証によって示していただきました。定期的に辺野古抗議行動に足を運ぶ内田さんが出会った人々の思いと、憲法13条の「個人の尊重」「幸福追求の権利」に基づく辺野古抗議運動の状況を綴った本稿をぜひお読みください。

沖縄県民の憲法13条がヤマトの13条の犠牲に
――『社外取締役島耕作』の辺野古抗議行動デマ中傷に限りない悲しみ

はじめに

2024年10月21日、講談社発行の成年漫画週刊誌『モーニング』の編集部と作家弘兼憲史の連名で「モーニング46号 (2024年10月17日発売)『社外取締役 島耕作』に関するお詫びとお知らせ」と題して以下のようなお詫び記事が発表された。

「モーニング」46号掲載の『社外取締役島耕作』(作 : 弘兼憲史)におきまして、米軍新基地建設に関連し、「抗議する側もアルバイトでやっている人がたくさんいますよ 私も一日いくらの日当で雇われたことがありました」という登場人物のセリフがありました。本作執筆にあたり作者・担当編集者が沖縄へ赴き、ストーリー制作上必要な観光業を中心とした取材活動をいたしました。その過程で、「新基地建設反対派のアルバイトがある」という話を複数の県民の方から聞き作品に反させました。しかし、あくまでこれは当事者からは確認の取れていない伝間でした。にもかかわらず断定的な描写で描いたこと、登場キャラクターのセリフとして言わせたこと、編集部としてそれをそのまま掲載したことは、フィクション作品とはいえ軽率な判断だったと言わざるを得ません。
読者の皆さまにお詫びするとともに、編集部と作者の協議の上、単行本掲載時には内容の修正をいたします。
モーニング編集部、弘兼憲史

件の漫画「社外取締役 島耕作」は1983年から連載が始まった「島耕作」シリーズの人気作品だ。大手電機メーカーに勤務する島耕作が課長から社長、会長と出世する物語で、タイトルも肩書に合わせ変化し、現在の島耕作は社外取締役という設定となっている。

「抗議行動に日当」がデマなことは決着済み

米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設工事に対する座り込みの抗議活動を続けてきた沖縄平和運動センターの顧問、山城博治氏は「使い古されたデマだ。影響力のある有名な作家がそんなにも軽い意識なのかと衝撃を受けている。怒りを通り越して悲しい」と無念さを隠さない。長く反対運動が続くことに「県民の心に深く根差した運動だからだ。手当を10年も出していたら巨額の資金がいる。県民感情を理解し、状況をもっと調べて発信してほしい」と訴える(10月22日東京新聞)。
「抗議行動に日当」がデマなことは東京 MX テレビ番組【ニュース女子】裁判等ですでに決着済みである【注1】。にもかかわらず、辺野古での抗議行動を中傷する悪質なデマは後を絶たない。筆者は数年前から2ヶ月に1度くらいの割合で辺野古での抗議行動に参加している。火曜日の最終便で那覇に行き、翌水曜日から金曜日まで辺野古での抗議行動に参加し、金曜日夜帰京するというスケジュールだ。 
那覇空港からホテルに向かうタクシーの運転手から「観光ですか」と声を掛けられ、辺野古の抗議行動に参加と答えたところ、「あそこではお金がもらえるでしょう」と言われたことがあった。もちろん即座に否定したが、こういうデマを流す輩がいるようだ。
配られるという「日当」の資金は何処から出ていると考えているのだろうか。ここでもお定まりの中国か。米軍基地負担の軽減を訴えるデニー知事の米・中・韓・フィリピンなどへの自治体外交にも「中国の手先」という心ない中傷がネット上で飛び交う。

辺野古行きのバス代の一律カンパ

辺野古での抗議行動は海上でのカヌー隊は別として、陸上はキャンプシュワブゲート前、安和琉球セメント桟橋前、塩川港の3箇所で月曜日から金曜日まで毎日行われる。
沖縄の現地の人々は、地域あるいは団体ごとに曜日を決めてこの3箇所での抗議行動を分担する。週1回、2回、多い人は週3回の参加となる。辺野古までは、各グループがバスを仕立てる。筆者は朝7時、沖縄県庁前を出発するバスに乗り込む。辺野古までは1時間余、安和、塩川ま で は 2 時 間 近 く か か る。 地 元 の 人 々 は そ れぞれの停留所から乗車してくる。乗車する人には、バス運行代の一部に充当するため、一律金1000円程度のカンパが要請される。筆者は3日間なので、合計で金3000円、年間18日で金18000円(もちろんそのほかに航空機、宿泊代)の負担という計算になる。地元の人々は、週1回の
人は毎月4回、年間48回で金48000円、週2計算になる。
この計算は辺野古行きのバス代カンパに関してのみのものであり、抗議行動参加者にはその他にも多くの経済的負担がかかっていることは言うまでもない。それでも人々は辺野古の抗議行動に参加する。
件の漫画が明らかになった後の朝のゲート前の座り込み、80歳を超えてますます元気な現場のリーダー高里鈴代さんは開口一番「皆さん~、日当はいくら貰っていますか」と笑い飛ばしたという。
むなしさを抱きしめ、しかし絶望することもなく

サンゴと多様な生物が生息する大浦湾への土砂の投入は止まらない。キャンプシュワブのゲートからは毎日500台近くのダンプが土砂を搬入する。沖縄戦の艦砲射撃で裸にされ、再生した山が再び裸にされる。むなしい。しかし、このむなしさを抱きしめながら絶望することもなく辺野古での抗議行動は今日も続く。これこそが先人たちが連綿として続けて来た沖縄の運動だからだ
辺野古での抗議行動は憲法13条(幸福追求の権利)に基づく非暴力の闘いである。現場のリーダーが抗議行動の新たな参加者に「非暴力とは言葉の暴力も否定するものなのです」と説明する。
現場では、排除する機動隊員に対する抗議もなされるが、その場合にも「税金泥棒!」、「ポリ公帰れ!」といった類の「暴言」が吐かれることはない。抗議行動参加者に「土人」と暴言を吐いた大阪府警など、県外の機動隊は別として、排除される沖縄県民、排除する沖縄県警の相互間にある種のリスペクトが存在する。こういうことは上っ面の調査や「取材」ではわからない。現場でずっと座り込みをしていることによって次第に見えて来る。
辺野古では抗議行動一辺倒ではない。ダンプの隊列の合間を縫って昼食や交流会がもたれ、各地の報告などの外に歌や、踊りもある。
歌には「沖縄を返せ」といった運動歌ももちろんあるが、「海の青さに空の青 南の風に緑葉の 芭蕉は情けに手を招く 常夏の国 我した島沖縄」と謳う「芭蕉布」のような民謡も歌われる。
歌や踊りはゲート前で機動隊と対峙しているときにも行われる。機動隊の隊長も歌や踊りの最中には規制・排除を控え、頃合いを見て、機動隊員に規制開始を命じる。抗議行動の現場リーダーと機動隊隊長の阿吽の呼吸だ。「ごぼう抜き」に際して、時には双方が激するところもないわけではないが、機動隊員たちの行動は概ね穏やかだ。抗議行動参加者を機動隊員3人がかりで運び出し、尻からでなく、まず足から着地させ、起き上がるのにも手を貸す。筆者は毎回「お世話様」と声掛けしている。人はこれを「馴れ合い」と呼ぶかもしれない。だがこれが「勝つことの秘訣は諦めないこと」という沖縄の運動のしたたかさなのだ。朝、抗議行動の始まる前、ゲート前で抗議行動参加者が沖縄県警員と「おはよう」と挨拶を交わしながらグータッチをすることもある。
年配の女性から「あなたたち、こんなことをしていていいの」と語りかけられ涙ぐむ、孫のような若い機動隊員を見たこともある。「あなたウチナー口(沖縄の言葉)分かる」と声をかけて機動隊員にウチナー口で語り掛ける年配の女性もいる。こういう芸当は年配の女性でなければできない。
昼食は各々がそれぞれ用意して来るが、中に、週1 回だが、多くの人々のために盛りだくさんの食事を持参してきてくれる人がいる。聞けば、その日は午前3時頃から起きて準備するそうだ。筆者も随分ごちそうになっている。これを辺野古ヴァィキングと呼ぶ人もいる。手間暇はもちろんのこと、毎週のことだから経済的な負担も大変なものだ。他にもパンを焼いてきたり、コーヒーを入れたりする人もおり、種々多様な食べ物、飲み物が配られる。

虫の音の聞こえる夜というささやかな 13 条の権利

辺野古での抗議行動は憲法13条幸福追求の権利に基づくものだ。沖縄県民が求める幸福とは何か。それは耳をつんざくような爆音のない、虫の音が聞こえる静かな夜、空から危険物の落下のない安全な生活、米軍・軍属による性被害のない安心できる社会等々といったささやかなものに過ぎない。国土の0・6%の狭い土地に在日米軍施設の70%が集中し、県民は米軍基地の重圧に呻吟している沖縄では、このささやかな権利が保障されていない。
そもそも権利の保障はそれが保障されない時代があったことの反映である。例えば表現の自由の保障は、表現の自由が保障されない時代があったからだ。憲法は種々の権利を保障しているが、その根幹をなすのは13条「個人の尊重」、「幸福追求の権利」だ。ドイツ基本法 1 条の「人間の尊厳の不可侵」に相当する【注2】。
かつて、個人は天皇の為、国家の為にあるとして、個々人の幸福を求めてはいけないという時代があった。
そんな昔の話ではない。たかだか80年前の話だ。その反省から生まれたのが憲法13条(幸福追求の権利)だ。この13条こそが憲法の肝だ。「戦争で得たものは憲法だけだ」、戦争末期、想定された本土決戦に際し、潜水服を着、先端に爆雷を括りつけた竹を抱え海底に潜み敵の艦船を下から突くことを命じられた「伏龍隊」に動員された作家の故城山三郎氏の述懐だ。ヤマト(本土)は沖縄に米軍基地を押し付け、ただただ平穏な生活をしたいという沖縄県民のささやかな願いを踏みにじっている。ヤマトの13条のために沖縄県民の13条が犠牲にされている。沖縄は憲法番外地だ。このことに筆者を含むヤマトの人々がどれだけ自覚的だろうか。

終わりに代えて 限りない悲しみ 

本件『社外取締役島耕作』の辺野古抗議行動デマ中傷報道に接して、ヤマトの一員として感ずることは怒りではない、限りない悲しみである。
10月22日朝日新聞夕刊「素粒子」は書く、【「辺野古抗議行動に日当」のデマを垂れ流した「島耕作」。社長・会長に出世したエリートも晩節汚し。この程度の情報判断力で今の社外取締役は務まるの?】。
全く同感である。「取材」ならば、どうして他方、即ち抗議行動側の意見も聞かなかったのか。取材で複数人から「辺野古では日当が支払われているよう
だ」と聞いたと作者らは言う。いずれも直接の体験でなく「伝聞」である。ところが件の漫画では登場する女性に「抗議する側もアルバイトでやっている人がたくさんいますよ 私も一日いくらの日当で雇われたことがありました」と伝聞でなく、直接の体験として語らせている。ここに抗議行動に対する作者の嫌悪・悪意を感ずる。5千円?1万円?一体いくらの「日当」を貰ったというのか。直接の「取材」などしていないから具体的に書けないのだろう。
作者の弘兼憲史氏は防衛省の公報アドバイザーを務めており、過去にも、安倍晋三首相(当時)との対談で、出身地岩国の米軍基地について「私みたいな“基地歓迎派”の意見は無視されてしまいます」と語っていたこともあるようだ(SMARTFLASH10月22日)
冒頭記した「モーニング、及び作者の「お詫び」が読者に対するものであって抗議行動参加者に対するものでないことはどうしたことか。

島を耕すように 艦砲射撃の雨が降る
ほんとうの敵は誰なのか
尊い命は 帰らない

ドンパチやってまけた国 祖国と呼んだ
あの国は
なぜだかこの島放り出し アメリカより遠い国
流れ流されて どこまでも 沖縄よ どこへ行く
戦が教えてくれたのは 愚かさだけなのに

生まれたときは アメリカ世 ためらいもなく
ドル時代
勝った 負けたの関係で がんじがらめの
お触れ書き
戦が終わりまた戦 島を飛び立つ米軍機
我々の島が あの国の人々を苦しめる
流れ流されて どこまでも 沖縄よ どこへ行く
金網の向こうに 平和など ありはしないのに

アメリカ世から大和の世
期待と不安の世替わりは
戦をしない日本の 兵隊たちがやってきた
物があふれる暮らしより 金網のないこの島を
それがアジアの人々へ 償いの証
流れ流されて どこまでも 沖縄よ
戦が教えてくれたのは 愚かさだけなのに
金網の向こうに 平和など ありはしないのに

(沖縄よ どこへ行く 作詞・作曲:安里正美)

辺野古キャンプシュワブゲート前テントで、ギターの弾き語りによるこの歌を聴かされたとき、様々な思い【注3】が去来し、ヤマトの人間として言葉がなかった。1970年ベトナム戦争の頃に創られた歌だが、今も事態は全く変わっていない。
同じヤマトの人間、弘兼憲史氏はこの歌を聴いたことがあるだろうか。課長島耕作でなく、社長、会長を経て社外取締役となっている島耕作にはこの歌を受止める感性がなくなってしまっているのだろうか。

【注1】2017年東京MXテレビのニュース番組「ニュース女子」は米軍ヘリパット建設の反対運動を巡り、参加者が日当を得ていると報じた。この報道に対して放送倫理・番組向上機構(BPO)は裏付けが不十分とする意見を公表した。参加者に取材をしていないことも明らかとなり、同番組は終了することになった。反対運動関係者らによる番組制作会社などに対する名誉棄損を理由とする損害賠償請求裁判でも賠償請求が認められた。

【注2】ドイツ基本法 1 条の1「人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、かつ保護することはすべての国家権力の義務である」。
13条「個人の尊重」、「幸福追求の権利」もドイツ基本法と同様、憲法の冒頭で語られるべきであったが日本国憲法は明治憲法の修正という体裁をとったので、条文番号としては13番となった。なおドイツは、1968年、基本法20条に 4 項として「この秩序(憲法的秩序)を排除しようと企てるすべての者に対し、他の防衛手段がない場合には、すべてのドイツ人は抵抗権を有する」と抵抗権を規定した。日本国憲法12条も「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」、同じく97
条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と権利のための闘争義務を謳っている。沖縄県民の憲法13条を守るための辺野古の闘いは、憲法95条「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意をえなければこれを制定することが出来ない」の精神に裏打ちされた憲法12条、97条の実践であり、まさにドイツ基本法に云う抵抗権の行使である。

【注3】「沖縄県民斯ク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という、沖縄戦の末期、太田實海軍少将が大本営海軍部宛てに打った訣別電報を、敗戦後の1946年4月の総選挙に際し、沖縄県民の選挙権の行使を認めなかったことを、1947年9月沖縄を米軍が基地として使うことが日米両国に利益にかなうと、裕仁天皇が連合国軍総司令部宛に発した「沖縄メッセージ」を、1952年4月28日発効の沖縄を切り捨てたサンフランシスコ講和条約を、思う。

内田雅敏(弁護士)

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