今回のメルマガは仲松典子さんからの寄稿です。戦後、戦力不保持を決めた憲法制定から70年余り、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、戦力を持たない」ことは今や忘却の彼方に追いやったような、反憲法的政策が次々と進められています。対話も外交もかなぐり捨て、中国脅威論を喧伝し、ミサイル要塞化に邁進する現政権の政策が国民生活を本当に守るものなのか、私たちは真剣に問わなければならないと思います。軍事力は上位、貧困率は先進国でトップという、戦前の軍事優先と全く変わらない状況に対して私たちがどう向き合うべきか、仲松さんはまず「憲法を知ろう」と訴えます。憲法によって権力を縛り、その暴走を止めることができるのは主権者である私たち国民一人ひとりであること、そのことをあらためて考えさせる本稿をぜひお読みください。
憲法と安保
沖縄に移住した翌日、頭上を覆った真っ黒い米軍機。
日本国民である自分は、戦争を放棄した平和憲法の下、侵すことのできない永久の権利として基本的人権を保障され、個人として尊重され健康で文化的な生活を営む権利があるはずだ。それを米軍機が侵す。沖縄で暮らすまで、こんなにも憲法と乖離した日常を感じることはなかった。米軍は明らかな「戦力」。国は、「米軍は日本の戦力じゃないからヨシ」とするが、憲法にそんなことは書いていない。憲法制定時、首相吉田は「戦争の多くは自衛の名において行われた」と、「自衛戦争」も認めなかった。そう、憲法の戦力不保持はそれほど厳然たるもののはずだった。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し、戦力を持たないはずのこの国が自国の防衛を軍事に頼り、今や軍事力世界ランキング7位、片や貧困率ランキング先進国1位。軍事費はまだまだ上がる。健康で文化的な生活・戦争放棄を謳う憲法とは全く逆の展開だ。この国の為政者は憲法がやれということをやらず、やるなということをやる。
南西諸島への攻撃用ミサイル配備、統合作戦司令部の創設、その司令官は米軍インド太平洋軍司令官を「カウンターパート」とするという。岸田首相は自衛隊と米軍の司令部の統合はしないと言うが、有事には米軍の指揮下に入る「指揮権密約」はどうなった?その指揮権のもとに、日本の多くの若者を戦場に配するのか。
米軍には国内法が適用されないのが原則、と国はいうが、ならばなぜわざわざ国内法除外の「特例法」が必要なのか。原則と例外が逆だ。安保条約そのものに「憲法の手続きに従」うと書いてある。
条約は遵守しなければならない、と憲法は言う。憲法が縛るのは権力であって国民ではない。安保条約の下に交わされた幾多の秘密に国民が縛られる必然性があろうか?憲法は為政者の横暴から国民を守るためにある。安全保障の名でなぜ人権が犠牲にされるのか。
軍事に頼る「抑止力」は必然的に軍拡競争につながる。儲かるのは軍需産業。彼らは政治資金パーティー券の大口購入者なのだろう。
憲法を知ろう、憲法を主権者である私達の手に取り戻し、私達が憲法を機能させよう。為政者の勝手な憲法解釈を許すまい。国民の視点に立つ人を見極め選ぶことで、この国を変えていくことができるのではないか。ミサイルよりもおにぎりを!そういう国を創ろう。
仲松典子(当会運営委員)