昨年5月に海自幹部が官用バスで靖国神社集団参拝、今年1月には陸上幕僚副長ら幹部3人が公用車で靖国神社参拝、4月から元海将が靖国神社の宮司に就任など、自衛隊と靖国神社に関連する報道が続いています。これまでも貴重な論稿をお寄せいただいている弁護士の内田雅敏さんに「自衛隊と靖國神社 自衛隊へのシビリアンコントロールは機能しているか」と題した論稿をメルマガで配信します。今回はその第1回です。ぜひお読みください。
自衛隊と靖國神社
自衛隊へのシビリアンコントロールは機能しているか
-「自衛官は靖國に祀られるか」と説く元陸上幕僚長-(1)
琉球列島の軍事要塞化と靖國神社
沖縄本島を含む琉球列島の軍事化が急ピッチで進められています。米軍と自衛隊の一体化を目指す統合運営訓練も一段と強化されているようです。2023年11月1日付琉球新報は、「隊員戦死・遺体扱い訓練へ」という見出しで、訓練には遺体処理の訓練もあるようだと報じています。
そんな報道を読みながら、靖國神社の社報「靖國」に気になる一文を見つけました。元陸上幕僚長岩田清文氏による「自衛官は靖國に祀られるか」(令和5年11月第820号)です。
岩田氏は言います。「昨年12月に関議決定した安全保障関連三文書においても、強い危機感が示され、戦争を抑止するための具体化が進んでいる。その中において、自衛官が戦死した場合の様々な処遇等を検討するとともに、死後における慰霊の在り方についても、静かに議論を深めていくべき時期である」と。そして「(自衛)隊員の死後、どこに葬るかは士気にもかかわる極めて重く重要な問題である」とした上で、「現状のままであれば、防衛省・自衛隊全体としては市ヶ谷駐屯地での慰霊、及び各地域としては司令部が所在する一部の駐屯地等において慰霊されるであろう。しかし一般隊員の視点から見れば、死後、そこに戻るという意識を持つものは少ないだろう。それら慰霊碑の前では、年に一度追悼式が執行されているが、一般隊員にとっては、その慰霊碑が共に国のために散った戦友、皆の魂が戻る場所と思っている者は少ないと言えよう」と述べています。
靖國神社は魂が戻る場所なのか
岩田氏は言います。
「明治以来、日本国は、国のため国民のために命を捧げた英霊を、靖國神社において永遠に慰霊し崇敬することとした。(略)当時、『死んで靖國で会おう』と、国の命令で戦地に赴いた方々には、明確に魂が戻る場所、精神的な拠り所があった」と。
そしてさらに「現役当時から、個人的には、もしいざという時が訪れ、最後の時が来たならば、靖國神社に祀って欲しいとの願いを持っていた。それは、靖國神社には幕末維新から日清戦争、日露戦争、そして大東亜戦争に至るまで、『祖国日本を護る』との一念のもと、尊い生命を捧げられた246万6千余の柱が祀られており、『国のために命をかける』との、我々自衛官と同じ志を持たれていた先人が祀られる靖國に、自分の死後もありたいと思っていたからである」とも述べます。
「大東亜戦争」という言い方にもあるように、1957(昭和32)年生れの岩田氏の頭の中では1945(昭和20)年8月15日の敗戦を経ても戦前と戦後の連続性が断たれてはいないようです。岩田氏は、後述するように靖國神社の歴史認識が歴代の日本政府の公式見解と真逆なものであることを知った上で、「自衛官は靖國に祀られるか」などと言っているのでしょうか。
靖國神社の聖戦史観
靖國神社発行『やすくに大百科 私たちの靖國神社』は以下のように述べています。
「……日本の独立と日本を取り巻くアジアの平和を守っていくためには悲しいことですが、外国との戦いも何度か起こったのです。明治時代には『日清戦争』『日露戦争』、大正時代には『第1次世界大戦』、昭和になっては『満州事変』、『支那事変』そして『大東亜戦争(第2次世界大戦)』が起こりました。 戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです。こういう事変や戦争に尊い命をささげられた、たくさんの方々が靖国神社の神様として祀られています。……また、大東亜戦争が終わった時、戦争の責任を一身に背負って自ら命をたった方々もいます。さらに戦後、日本と戦った連合軍(アメリカ、イギリス、オランダ、中国など)の、形ばかりの裁判によって一方的に、“戦争犯罪人”という、ぬれぎぬを着せられ、むざんにも生命をたたれた1068人の方々、靖国神社ではこれらの方々を『昭和受難者』とお呼びしていますが、すべて神様としてお祀りされています」
日本の近・現代におけるすべての戦争は日本を守るための正しい戦争、「聖戦」であったとする、これが靖國神社の現在における歴史認識なのです。
この「聖戦史観」を可視化しようとするものとして靖國神社付属の遊就館があります。そこでは近・現代史がつまみ食い的に改竄されて展示されています。
靖国神社遊就館の展示室15(大東亜戦争)の壁に「第二次世界大戦後の各国独立」と題したアジア、アフリカの大きな地図が掲げられ、以下のような解説が付されています。
「日露戦争の勝利は、世界、特にアジアの人々に独立の夢を与え、多くの先覚者が独立、近代化の模範として日本を訪れた。しかし、第一次世界大戦が終わっても、アジア民族に独立の道は開けなかった。アジアの独立が現実になったのは大東亜戦争緒戦の日本軍による植民地権力打倒の後であった。日本軍の占領下で、一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることはなく、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した。」
「大東亜戦争」は侵略戦争でなく、植民地解放のための戦い、聖戦だったというのです。そして戦後独立したアジアの各国について、独立を勝ち取った年代別に色分けし、彼の国の指導者、例えば、インドのガンジ一氏などの写真が展示されています。ところが日本の植民地であった台湾、韓国、朝鮮「民主主義人民共和」国については色が塗られてなく、彼の国の指導者の写真も展示されていません。ただ、朝鮮半島については南北朝鮮につき小さな字で、1948年成立と書かれているだけです。「大東亜戦争」が白人の植民地支配からのアジア解放の戦いであったとするならば、朝鮮、台湾の植民地支配はどう説明されるのでしょうか。日露戦争の「勝利」によって朝鮮の植民地化が加速されたのではなかったでしょうか。
台湾、朝鮮だけではありません。前記地図ではフィリピンとミャンマーの独立が1943年と記述されています。日本軍の占領下で独立がなされたとしているのです。フィリピン共和国の独立宣言は1946年3月、ビルマ(ミャンマー)共和国の独立は1948年1月なのです。このように、遊就館の展示は、自国の歴史の改ざんだけでなく、他国の歴史の改ざんまでしているのです。靖國神社の歴史認識が1945年8月15日以前と変わっていないことに驚きます。
靖國神社の聖戦史観(大東亜戦争史観)は国際社会で通用しないことはもちろん、後述するように歴代の日本政府の公式見解にも反する特異なものです。
(続く)
内田雅敏(弁護士)