今回のメルマガは当会発起人で映画監督の三上智恵さんの新著「戦雲(いくさふむ) 要塞化する沖縄、島々の記録」に関連してのコラムです。この表紙の帯に「圧殺されたのは沖縄の声だけではない。いつか助けを求める、あなたの声だ」という一文があります。今まさに、私たち一人ひとりが我が事として、着々とすすめる日本政府の戦争準備に対して向き合うために胸に落とさなければならない言葉です。今回紹介するコラム、映画に通底する「戦わない覚悟」「戦争に協力しない覚悟」こそ、島々を戦場にしないため、私たちが自分たちの身を護るために必要なことだと思います。ぜひお読みください。
戦わない覚悟
~新刊『戦雲いくさふむ』に登場するヒーローたち~
へそ天で、白旗を枕に昼寝している猫の絵を描いた。フェイスブックでは下手ウマですね、と言われた程度で不発に終わったが、ボールペンを走らせただけの落書きと油断させておいて、実はこのアナーキーな猫には深い哲学を持たせている。不服従、不真面目。命令には従わずに昼寝をする。命乞いも白旗を揚げるのも全然恥ずかしくないです、楽しく生きていたいだけですと主張している。間違っても立派な兵隊さんにはならないし、持つべきは「戦わない覚悟」。脱力でかわす奥義を表したつもりだ。
この国はいつから忠君愛国の精神を美徳とするようになったのか。「海ゆかば」の原歌を書いた大伴家持は奈良時代の歌人だから、ゆうに千年を超える歴史がある。それはDNAにまで染み込んだのか、滅私奉公や殉死といったテーマの安いドラマに迂闊に感動してしまう自分もいる。だが、こと沖縄に関しては、事情はかなり違っていたようだ。
明治政府は1873(明治6)年に徴兵令を公布したが、沖縄は遅れること25年、ようやく兵役を義務付けるも、徴兵を逃れるために逃亡したり自らの体を傷つけたりと、あらゆる手段で徴兵を拒否する人が続出した。家族総出で徴兵検査の現場に押しかけ不合格を願うものもいたという。徴兵忌避で処罰された者の数は、当初の18年間に744人にも上った。
沖縄の現状に手を焼いた日本軍関係者は、明治~昭和にかけて数次にわたって沖縄の人々の傾向を分析している。行動が鈍く、責任感が弱く規律を守らず忠誠心がない、などかなりの偏見も含んだ評価を下している。このままでは兵隊として使い物にならない。国境を守る意識や愛国心を早急に植え付けなければ、と皇民化教育に力を入れ、南の島から軍神を仕立て上げ、君らも続け、立派な日本人になれと鼓舞した。その結果、生きて虜囚の辱めを受けずの戦陣訓を守り、決して投降せず、軍隊とともに玉砕する従順な沖縄県民が増え、犠牲者が増大した。米軍に撮影された「白旗の少女」は、稀有な存在だったのだ。
当時6歳だった彼女はたまたま飛び込んだガマで一緒になった老夫婦から、自分は歩けないがこのふんどしを掲げて生き延びなさいと教えられた。命乞いをしても良い、生きたいと願って良いのだということがもっと多くの人の胸にあれば、助かった命がたくさんあったはずだ。あの白旗の少女の行動こそ尊い。今まさにそれを肯定する私たちでなければならないとひしひしと感じる。元総理大臣が「戦う覚悟」を呼びかける、戦前さながらのこの令和の時代。今こそ「戦わない覚悟」「戦争に協力しない覚悟」が必要なのだ。
新刊『戦雲』は、いくさふむ、と読む。島のど真ん中にミサイル基地が作られてしまった石垣島で、また戦雲が湧き出してくるよ、怖くて眠ることも出来ないと抒情詩「とぅばらーま」にのせて歌う山里節子さん(86)の言葉だ。米軍基地に抵抗する現場だけでなく自衛隊による軍事要塞化が進む島々の抵抗を描いた映画「標的の島 風かじかたか」(2017年公開)以降も、私は基地が作られミサイルが搬入されていく様子を歯ぎしりしながら取材してきた。中国との覇権争いで優位に立ちたいアメリカの論理に振り回され、煽られた「台湾有事」で戦争に手を染めかねない危うい日本。今回の本は、そんな政府が島々から何を奪っていくのかを撮影日記としてまとめたものだ。抵抗を続ける人も、もう頑張れなくなった人も登場する。一方、沖縄県民でもミサイルを持つのは当然という人もいる。長距離ミサイルを置いて国防に協力したいと胸を張る人もいる。
そういう国民がいるから戦争ができる。もしも軍のトップが号令をかけても動かない、怠惰で忠誠心のない人しかいない国なら、軍隊も作れないし、労働力も確保できないから戦争準備もできない。怠惰になれば戦争できないなら、いくらでもナマケモノになってやる。日米の軍事組織が南西諸島を戦場に見立てた訓練を繰り返す段階に入った今、どうやって戦争を拒否できるのか、私は本気で考えている。
3月に公開予定の同名のドキュメンタリー映画の中に、徴兵忌避をした父について語る方が登場する。今年ミサイル基地が完成する勝連分屯地の近くに住む森根昇さん(82)だ。
父親の廣生こうせいさんは当時20代で徴兵対象だったが、絶対に長男を死なせられないという家族の強い要請で、意図的にサツマイモのくずばかりを食べて栄養失調になり徴兵検査で落とされた。戦後はどの家も男手がなく苦労するのだが、森根さん一家は働き者の父親に支えられた。しかし栄養失調が祟ったのか、30代でこの世を去った。
「今まで胸を張って言う話ではないと思ってきたが、今こそ再評価したい。父こそが本当の英雄ではなかったか」
戦雲に包まれてゆく島を歩いていて、なぜこの国は先の戦争を止められなかったのか、いま同じ道を歩んでいないかと必死に考える。戦争に協力しなかった人たち、空気に染まらずに抵抗した人こそヒーローであり、語りつぐべきだという価値観を共有しなければ、また従順に軍隊に協力する人ばかりになって、再びあの地獄がやってくるのだ。この本に記録された現代のヒーローたちの姿を、今こそ全日本人に知ってもらいたい。
三上智恵(当会発起人・映画監督)
※今回の寄稿は集英社読書情報誌「青春と読書」の今月のエッセイから転載しました。