「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」 賛同者・呼びかけ人の皆さま
いつも活動をご支援いただき誠にありがとうございます。
第20号は設立発起人・呼びかけ人の伊佐眞一さんの原稿です。
それでは、ぜひご覧ください。
「4・28」二つの人間像 比嘉秀平と吉田茂
サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日、日本はGHQ(連合国総司令部)の統治を離れて主権国家として独立した。ちょうど70年前である。日本(ヤマト)にとっては戦争中に「鬼畜」とまで呼んだ異民族の支配下にあった「屈辱」の7年からの脱出であった。そして沖縄はその第3条によって日本国からの分離が決定。つまりアメリカによる沖縄の軍事占領はそのまま続くことになったが、この国際条約は琉球王国が異民族の日本に武力で併合された「屈辱」の歴史から、琉球・沖縄を72年ぶりに解放した。
◆「祖国」への祝電
そこで、この4・28前後に、どんなことがあったのか。私の頭にすぐ思い浮かぶのは2人の人物である。ひとりは当時の琉球政府行政主席、比嘉秀平。彼は前日に発表したメッセージのなかで、「祖国日本が独立の第一歩を踏み出すことに至ったことは誠に喜びにたえない」と感激し、「私は琉球が日本に復帰することを信じて疑わない」者で、日米の同情と誠実も信じている。ゆえに、「更に一段と成長して祖国に迎えられるよう」住民の奮闘を期待すると述べた。そして「祖国」の首相に将来の隆盛と閣下の健康を祈念するとの祝電を送った。
もうひとりの人物がこの吉田茂首相である。28日の談話で彼は、「太平洋地域の共同防衛の目的を達成するため、われわれは米国と安全保障条約を結び、米国の陸海空軍を国内とその周辺に駐在」させることになったと語った。放棄した琉球住民への言及はただの一言もなかったが、それは沖縄に申し訳ない気持ちがあったからではない。というのは前年の1月、ダレス使節団が来日したとき、吉田は沖縄について、「日本は米国の軍事上の要求について如何ようにでも応じ、バーミューダ方式による租借も辞さない用意がある」と覚書を送っていたからである。バーミューダ方式とはアメリカがバーミューダ諸島に基地を造るため、その土地をイギリスから99年間租借した協定のことである。
◆温情や配慮なし
格の違いはあるにしても、比嘉と吉田を比較するのはじつに興味深い。日本政府の沖縄に関する対米方針は、すでにその4年前、昭和天皇が米国政府に伝えたメッセージ-沖縄を25年から50年ずっと占領させてもよいという基本線で吉田にまで貫かれていた。
この点は米国も同様で、講和条約で日本に沖縄の領土主権を放棄させるか、あるいは信託統治をどううまく使うか、マッカーサーや国務省のジョージ・ケナンなどによって細心の注意を払って討議されていた。そこには比嘉主席が期待したような沖縄へのヒューマンな温情や配慮はまったくなかった。日米首脳の頭を占めていたのは、それぞれの安全保障の観点から、処分材料たる沖縄をいかに将来を見据えて最大限に軍事利用できるかの一点だったといってよい。
利害得失を思考の中心にすえて冷徹に行動する日米両政府に対して、わが琉球政府はどうだったか。権謀術数の世界で、警戒を知らぬお人よしほど恐ろしく悲惨なものはない。しかし問題はこの光景をその後の沖縄人は過去のものだと言えるかどうか、である。たとえ権力関係にとてつもない差があるにしても、小は小なりに人間と状況の観察眼力を基盤に、大国に引けを取らぬ交渉力を発揮した事例は古今東西にいくらもある。おそらく、比嘉主席のメッセージと祝電を読んだ吉田首相は、心中あざ嗤ったとしても不思議ではない。
「琉球のこの連中は日本人にぞっこんだ。今後もこの急所を衝けばどうにでもある」と、ほくそ笑んだはずである。そして実際、その後70年の歴史はそれをみごとに実証してきた。
だが、こうしたことは政治家だけに起こったものなのか。いやそうではあるまい。この数年、私が沖縄県の幹部職員に接するたびに痛感したのは、政府に向き合うときの彼らの態度が、まさに比嘉の吉田への卑屈な態度とうり二つなことであった。独自の歴史と文化を築いた気骨ある琉球の子孫どころではない。地獄の沖縄戦と惨憺たる戦後をしいられた「屈辱」の歴史体験が、血肉として蓄積・継承されていないのだ。底の抜けた「ザル経済」そっくりで、それは政界や経済界、教育・文化界など社会に広く及んでいるようにみえる。
◆あざとさ巧妙に
他方で4・28以後、吉田の末裔たちは沖縄を「捨て石」にした直接の当事者がいなくなるにつれて、贖罪感と責任意識も薄れて、日本から沖縄への基地封じ込め政策を加速させてきた。改めて言うも愚かだが、彼らには本土防衛のために日米安保で沖縄を要塞に固定化した途方もない責任がある。しかしこの頃ではこの構造的沖縄差別に頬かむりして、「沖縄に寄り添う」とか「沖縄理解者」といったインチキ臭い自己宣伝を口にする者が、ヤマトでも沖縄でも後をたたない。それもそのはず、吉田流の沖縄対応が基地の県内タライ回しを意味する「SACO合意」のように巧妙であざとくなり、県内外の御用学者などが振興策で沖縄を瞞着してきた結果が、今日の状況を生み出しているとも言えるからである。
ともあれ、今の沖縄に最も必要なのは、政府・米軍そして日本人(ヤマトンチュー)にウシェー(なめ)られない昂然たるウチナーンチュであり、そのための意識転換と鋭角的な実践ではないか。しょうもない式典や「建議書」の焼き直しを考えるよりも、16世紀イタリアの小さな国家で苦闘したマキャベリの「君主論」を学習した方が、どんなにか腹の足しになるかしれない。
伊佐眞一
「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」設立発起人・呼びかけ人、沖縄近現代史家
※4月28日沖縄タイムス文化面に掲載された原稿を伊佐さんの承諾を得て掲載させていただきます。