「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」準備会が主催する「ミサイル要塞化の危機」写真展が26,27日の両日、陸自地対艦ミサイル部隊が配備されるうるま市勝連の内間公民館で開催された。市民や那覇市、南城市などからも参観者が詰めかけ、地元住民は「ミサイル基地は有事で標的になる」とし、「絶対反対」の声を上げた。「ミサイル写真展」は4週末連続で市内4公民館で連続開催。準備会の宮城英和事務局長は「他地区でも開催し、配備に反対する市民の会を立ち上げたい」と話した。
自衛隊勝連分屯地には復帰後に地対空ミサイル部隊が配備され、新たに地対艦ミサイル部隊配備、南西諸島の連隊本部も置かれる。説明資料に見入った70代の男性は「辺野古に通い新基地反対を訴えてきたが、まさか住んでいる地元がミサイル基地になるとは。絶対受け入れられない」と怒り心頭。沖縄戦をくぐった80代女性は「ウクライナの悲劇は人ごとじゃない。ここにミサイルが飛んでくるかもしれない」と体を震わせた。
会場では「復帰前のメースB 核ミサイル解体撤去」の写真も展示。うるま市平敷屋にもかつてメースB基地があり、松尾武一さん(92)は「このあたりに基地があった」と今は住宅地に変わった現地で証言。写真で見るメースB基地はミサイルの発射口が八つ。松尾さんは「北を向いていた(中国の方向)」と証言。同行した東武さん(75)は、「メースBとは別のミサイルもあった。サイレン音を鳴らしてミサイルを立ち上げる訓練を目にした」と話した。会場でも「土に覆われた発射口が音を立てて左右に開き、ミサイルが立ち上がった」、「ごうごうと大きな音がした」など証言が相次いだ。
「メースB核ミサイル」写真には「1967年、沖縄に1287発の核兵器」の図表も展示。参観者は「沖縄にこれほど多くの核爆弾があったのか」と驚き、「安倍元首相らの核共有論が現実になれば、再配備の密約のある沖縄、勝連に核ミサイルが持ち込まれるのでは」と不安視する声も聞かれた。
参観者の案内で高台から米軍ホワイトビーチを見学。自衛隊も共用する「海軍桟橋」には自衛隊の艦船と米海軍のラルフ・ジョンソンミサイル駆逐艦が並んで接岸。地対艦ミサイル部隊が配備される陸自勝連分屯地が隣接する。東浜光雄市議は「ホワイトビーチと分屯地が一体的に運用され台湾有事の重要軍事拠点になるのは間違いない」と危機感を募らせた。
「ミサイル要塞化の危機」写真展は、的を射た計画であり、さすがに沖縄らしい企画だと感心しました。ロシアのウクライナ侵攻により戦争が始まり、「核の共有」などの話題が取り上げられ、この先憲法改悪が実現すれば、日本も核武装の道に踏み込むのではないかと危惧の念を持ちます。そして沖縄に核基地が造られていけば、沖縄は再び犠牲になることは明らかであり、さらには原発を持つ日本列島も多大な犠牲者をだし、崩壊するでしょう。
日本に復帰して50年、この半世紀は沖縄にとっては、当時の屋良県知事が式典で述べたように苦難の道でした。復帰はまさに「基地付き復帰」「米軍付き復帰」であり、県民の願った復帰とはかけ離れたものでした。歴史は忘れ去られるのでしょうか。復帰50年に改めて沖縄戦後史を学び、日本の戦後を見つめなおしています。
県民の諦めない不屈なたたかいに学び、平和憲法を守り、沖縄がアジアの平和の拠点になるために県民の皆さんと共に努力を重ねていきたいと思います。