今回のメルマガは当会運営委員の仲松典子さんからの寄稿です。今の軍事強化、不条理な日米地位協定、米軍の存在は憲法に照らせば違憲としかいいようがありません。施行からもうすぐ80年、私たちがガラスのような憲法に守られつづけた時期は過ぎたようです、これからはこの憲法を本当の意味で私たちの手に取り戻し、育て、国民自らの手で生かさなければ、未来はないともいえるでしょう。ぜひお読みください。
「戦争を許すまい 憲法をしっかりと味方に
沖縄をはじめ、全国各地に展開される具体的戦争準備。現地に暮らす人々が反対の声を挙げてネットワークを広げている。この声を無視して国の戦争遂行が許されるか?防衛は国の専権事項などではない。なぜなら、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように」するのが、憲法前文に掲げる国民の権利であり義務だからだ。
自衛隊員の「服務の宣誓」では、「国民の負託」に応えて国の存立を守る、ことになっている。彼らにとって「国民」とは誰か。「国民」は顔を持たない抽象的なコトバではない。各地で戦争反対の声を挙げる人々こそが生身の国民だ。その国民を恫喝し、「国民の負託に応え」ているつもりなら根本から間違っている。
現憲法が地方自治の章を敢えて設けたのは、9条と共に戦争への歯止めとするためだと聴いた。自民党改憲草案は、地方自治は住民に身近な行政をやる、国との役割分担を踏まえ協力する、とある。地方住民の可能性を狭め、国に協力しろということだ。憲法の基本原理、国民主権に逆行する。
米軍の船舶・航空機の日本の港・飛行場への出入りは地位協定5条で認められる、だから民間空港や港を米軍が使うことを止められない?そうか?憲法より上にある地位協定、とかよく聞くが勘違いしてはならない。そのように「運用」されてしまっているのであって、最高法規は憲法であり、憲法に反する政治家の行為は無効なのだ。事実の先行を許してはならない。
米軍の存在は憲法に反しないのか。かの砂川裁判で最高裁は、米軍は我が国が主体となって指揮権や管理権を行使しない戦力だから、9条の「戦力」ではないとした。ならば今、自衛隊との指揮統制機能の連携強化、一体化が進む米軍が9条の「戦力」ではないと断言できるか。
最高裁は又、安保条約の合憲性についていわゆる「統治行為論」を展開し、「内閣や国会の判断に従うべく」としつつ、しかし、続けて「終局的には主権を有する国民の政治的判断にゆだねられるべき」とする。米国と通じながら判決文を書いたとされる最高裁長官ではあるが、この一文は、企業ぐるみ選挙で現れる数字よりも生の住民の声が政治を動かす、ということではないか。これこそが、「地方自治の本旨」ではないか。
安保条約自身、憲法上の規定に従うことを規定している。もっと憲法を使おう。憲法を味方にすれば国民は強いはずだ。
仲松典子(当会運営委員)
※本稿は琉球新報論壇に掲載されたものを仲松さんのご了解を得て、転載したものです。