メルマガ366号

今回のメルマガは新垣邦雄さんからの寄稿です。2月に発足した当会も参画している沖西ネットは35団体となりました。6月6日、東京での初の政府交渉に臨み、数々の要求、質問を突きつけました。しかし、こちらの切実な質問に対し、台本があるかのような、決まり文句の回答に終始しました。しかし、こうした政府の姿勢を容認することはできません。今後も沖西ネットの取り組みに注目していただき、読者の方々の積極的な参加をよびかけます。

戦争PTSDを知っていますか?
加害者・被害者、そして子や孫にも連鎖

敗戦から80年、人と人が〈国家の意思〉で殺し合う戦争の実態が問われ直されている。その中で、戦争が終わっても終わらない心の戦争、戦争PTSD(心的外傷後ストレス障害)に向き合う動きが注目されている。

 〈戦争PTSD〉を描いた映画で強い衝撃を受けたのが『タクシードライバー』(ベトナム戦争終了直後の1976年製作)だ。ベトナム帰還後不眠症になった男が、夜勤のタクシードライバーになる。深夜ニューヨークの繁華街を流しているうち、13歳の少女を売春婦にして稼いでいる組織に出会う。彼は〈自らの正義〉のため、闇で手に入れた銃で、その〈敵〉を殲滅する。ところが、マスコミは彼を少女を救った英雄に祭り上げる。〈銃と正義〉を手に入れた彼は、新たな〈敵〉を見つけるため、夜の街を流し続ける。不敵な笑みを浮かべながら。

 アメリカはベトナム・中東戦争後、戦争PTSDの調査・研究を進めてきたが、日本はこれまでこれを放置してきた。

 国府(こうの)台陸軍病院をご存知だろうか。日中戦争の最中の1936年に「戦争疾患」に対応する専門病院として発足。収容された患者は1万453人いた。患者の「病床日誌」が〈皇軍の恥〉として軍によって焼却されようとしたが、ある医師によって秘匿・保管され8002冊が残った。その日誌の一例「山西省で部隊長の命令で部落民を殺せることが最も脳裏に残っている⋯⋯自分にも同じような子供がいたので厭な気がした⋯⋯恐ろしい夢はそれ以来ずっとあって悩まされる」。

 黒井秋夫さんはベトナム帰還兵の存在を知ったことで、父親の戦争PTSDと向き合った。そして、これまで注目されてこなかった日本軍兵士の戦争PTSDを全国的問題として浮上させ「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を立ち上げた。その動きが国営の「しょうけい館ー戦傷病者史料館」で戦争PTSDを調査・公表する取組みを開始するまでに至った。

 南京・沖縄をむすぶ会とノーモア沖縄戦命どぅ宝の会主催、沖縄戦・精神保健研究会と沖縄県精神保健福祉会連合会後援で、8月3日(日)午後1時からてぃるる大ホールで「戦争PTSDを考える講演会・シンポジウム」を開催する。資料代500円。日本兵、沖縄戦、南京戦、そして親から子へ連鎖するPTSD⋯⋯戦争PTSDを総合的、多方面から深く静かに考える機会にしたい。わたし/たちの子や孫に二度と戦争PTSDを味あわせないために⋯⋯。問い合わせ090-7450-6941(具志堅)、090-2716-6686(新垣)

(具志堅正己南京・沖縄をむすぶ会代表、74歳)
※本稿は具志堅さんのご承諾を得て、琉球新報7月13日の論壇を転載したものです。

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