メルマガ358号

今回のメルマガは与那覇恵子さんからの寄稿です。5月15日、53回目の復帰を迎えました。「基地なき平和な島」を求めながら、その内実は全く逆の方向に進み、米軍基地は維持され自衛隊が配備されました。そして53年たった現在、ミサイル要塞化が進み、着々と戦争への道を進んでいます。この状況を与那覇さんは、「日本国軍=自衛隊の黒い力で息もできない地獄図絵にたたきこまれることが予想されている」沖縄、と表現します。

沖縄にとって「復帰」とは何だったのか?

1972年、新入生だった私の復帰の自覚は琉球大学が国立となったことくらいだったが、5月15日の土砂降りの雨が「沖縄の人々が流した涙だった」と表現されたことが忘れられない。それは嬉し涙ではなく怒りと悲しみの涙だった。人権無き米軍占領下の苦難の救いを、日本を祖国と呼んでの復帰に求め「基地なき平和な島」を夢見た人々は、米軍基地にさらなる自衛隊配備という、沖縄の声無き日米政府による沖縄返還に裏切られた。
  復帰53年目の沖縄で、その怒りと悲しみは増すばかりの日々だが、それはすでに復帰時に「沖縄少数派」(仲宗根勇1981)が予言したことであった。復帰前後に書かれた論考集は驚くばかりに今の沖縄の姿を描き出している。「沖縄政治における中央志向性の増大」各組織、政党、派閥の本土系列化で沖縄の政治は分断され独自の力を失っている。今の沖縄の政治を決める選挙時の混乱の背景に、中央繋がりの各政党の党利党略や中央組織の思考に連なる組合がある。米軍権力に迎合したと同様に日本権力に迎合する「『売民の徒』も後を絶たないだろう」との言葉には、米国に直接沖縄の声を届ける機会を潰すことに尽力した沖縄の政治家や賛同者など、最近の出来事が思い出されて悲しい。
「企業と軍隊を主人とする沖縄島の要塞化という体制の長期的展望の実現」辛うじて保たれていた沖縄の自然や伝統・文化の急速な喪失を実感するのは私だけではないだろう。緑残る「やんばる」を本土企業による開発で失う可能性がある今、アミューズメント観光経済の夢を追う私たちに不足しているのは、人工ではない自然の豊かさこそ観光経済の基礎であるとの認識だろう。政府や企業の机上の計算による開発による生物多様性に富む自然環境の破壊が進むが、他県と異なり市民がどれほど反対しようが解決困難な理由は、経済利益の企業開発と相まって、辺野古大浦湾や浦添西海岸、与那国の樽舞湿原など、殆どに軍事が絡んでいることだ。
「復帰を求める以上、日本の現実の国家構造からして安保復帰たらざるを得ないのは当然」を噛みしめざるを得ない。日米共同作戦計画下、迷彩色の自衛隊員が島々を闊歩し、軍事要塞化が強行され「台湾有事」での再びの戦場に怯える今、沖縄はかつて大田知事や翁長知事が日本政府に問うた「沖縄は日本国民に入っていますか?」の答えを思い知らされている。「日本国軍=自衛隊の黒い力で息もできない地獄図絵にたたきこまれることが予想されている」沖縄だ。しかし、信じたい。米軍占領下で培った抵抗の力を。沖縄を沖縄に返すために。

与那覇恵子(当会共同代表)

※本稿は与那覇さんの承諾を得て、琉球新報(2025年5月15日)に掲載された論壇を転載したものです。

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