メルマガ356号

今回のメルマガは具志堅隆松さんからの寄稿です。毎年6月23日に糸満市摩文仁で開催される沖縄全戦没者追悼式は、毎年厳重な警備の中政府要人が参加します。機動隊の車両がバスの駐車場を埋め尽くし、金属探知機を据えて、高齢者遺族を並ばせる様子などをみるにつけ、だれのための追悼であるのか、なんのための警備なのか、憤りを感じます。具志堅さんは本稿で、現行の式典の問題点を指摘し、この追悼式を主催する県への要望を示しています。ぜひお読みください。

戦後80年 県の慰霊行政に望む
県民本位の戦没者追悼式を

糸満市摩文仁における、沖縄全戦没者追悼式について私見を述べる。県は6月23日の慰霊祭式典「沖縄全戦没者追悼式」をもっと簡素にすべきである。それは、県が行っている巨大なテントの中での式典には参加しなくとも、平和の礎へ訪れる県民の多さを見れば一目瞭然である。県民は膨大な予算を費やした県主催の式典に参加したいわけではなく、平和の礎に刻銘された名前の前で故人の存在を確認し、犠牲者の魂の平安を祈りたいのである。
 私はここ数年、県の慰霊祭式典が巨大化、そして形骸化していると感じている。つまり政府要人を招くための慰霊祭になっているという疑念を持っているのだ。総理をはじめとする政府要人を招かなくとも、県民には何ら困ることはない。むしろ要人警護のための膨大な予算、さらに炎天下を高齢者が遠い駐車場から歩かされる弊害は減少するだろう。県は総理大臣参加のための慰霊祭から県民本位の慰霊祭に立ち返るべきである。
 そして、内外に声を上げないといけないことがある。ここ2年間の慰霊の日に受け入れ難い暴挙が警察によって行われたのだ。それは平和の礎の刻銘碑の前に遺族が供えた花や線香を大勢の警察官が次々と立ち入り、長い警棒でひっくり返して調べたのである。これは戦没者に対する遺族の追悼の念を靴で踏みにじるようなものである。
 県は慰霊祭の行われる公園内を静謐な環境に保つ必要があると言っていたが、遺族が祈りをささげているそばから長い警棒を持った警察官が花や線香を調べて歩くのは静謐な環境の破壊である。昨年の慰霊の日の直前に衆議院の議員会館の会議室に警察庁を呼んで(今年は6月17日予定)、この暴挙を繰り返さないように強く指摘したのだが、再び起きてしまった。警察に対してはこの紙面をもって猛省を要求する。
 これらは政府要人警護の一環として危険物発見のため行われている。この暴挙をやめさせる方法は、県が政府要人を招待しなければいいのだ。
 さらに、今年は政府要人以外に天皇が沖縄を訪問することを表明している。私は天皇の沖縄訪問が慰霊の日式典参加であれば、天皇による戦没者と遺族への謝罪が必要だと考えている。なぜなら、沖縄戦の犠牲者は皇軍兵士より、戦争とは関係のない一般住民の方が多いからである。もし天皇が摩文仁の式典でお言葉を述べると、犠牲者と天皇の間で和解が成立したかのような演出になってしまう。謝罪なき式典参加は和解にはつながらない。県は慰霊祭式典に天皇を招待してはならない。

具志堅隆松(沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表)

※本稿は具志堅さんのご承諾を得て、琉球新報論壇(2025.4.18)を転載したものです。

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