メルマガ341号

今回のメルマガは内田雅敏さんからの寄稿です。自衛隊幹部の靖国参拝、15旅団HPへの牛島司令官の辞世の句の再掲載など、近年自衛隊の歴史認識が問われる、決して看過出来事が相次いでいます。本稿では元幹部、それも陸将レベルの「日中共同声明からの離脱」という過去を踏まえない妄言、靖國神社を戦前の国家機関として復活させようとする主張について、どういう問題があるのか、内田さんに鋭く指摘していただきました。ぜひお読みください。

元陸将の「日中共同声明からの離脱」発言を考える
退官したからといって何を言ってもいいわけではない

2025年1月1日、沖縄駐留の陸上自衛隊第15旅団のホームページに、沖縄戦における牛島満第32軍総司令官の辞世の句、「秋待たで枯れ行く島の青草は 皇国(みくに)の春に蘇(よみがえ)なむ」が再掲載された。
 昨24年10月、この句が第15旅団ホームページに掲載されていたことが発覚し、第32軍と自衛隊との連続性を表示したものとして批判されると、HPのリニューアルを理由として、掲載を取り下げられた。それが再掲されたのである。1月5日付「沖縄タイムス」社説は以下のように書く。
 「沖縄戦では本島南部への32軍の撤退が、多くの住民犠牲を招いた。(略)掲載は住民犠牲への配慮を著しく欠く上に憲法の精神にも合致しない。15旅団では昨年、那覇駐屯地内の展示施設に牛島司令官の軍服を陳列していたことも判明した。施設内で流れるナレーションでは日本軍を『わが軍』とし、スクリーンには牛島司令官の辞世の句も投影されていたのである。日本軍との連続性を示しているとの指摘は当然だろう。(略)今年は戦後80年目の節目に当たる。沖縄戦で牛島司令官は『最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし』として住民が降伏することを否定。そのためおびただしい犠牲が出たのである。15旅団はこうした史実をどう捉えているのか」
 陸上自衛隊幹部候補生学校(福岡県久留米市)では、沖縄戦について『日本軍が長期にわたり善戦敢闘した』と評価し、幹部候補生教育の方針にしていたとのことである(24年6月6日付『沖縄タイムス』)。

日中共同声明から離脱をも検討せよと主張

 沖縄・九州管轄とする陸上自衛隊西部方面元総監の小川博史(元陸将)は昨24年10月1日の「安全保障を考える」(公益財団法人安全保障懇話会)のシリーズの論考「武力攻撃対応と国民保護 島嶼部を含むわが国に対する侵攻への対応」では以下のように述べる。
 「もし台湾が武力攻撃を受ければ、日本はどうするのか。日本は台湾をただちに『国』として扱い、公的な連携体制を構築すべきではないか」、しかし「(武力攻撃)事態対処法第2条4「存立危機事態はわが国と密接な関係にある『他国』に対する武力攻撃が発生」と国を対象にしている。また自衛隊法第84条の3在外法人等の保護措置は「当該『外国』の領域を対象とし、当該外国との権限ある当局との連携及び協力を確保する『国家』と承認するか、しない場合は他国『等』と法律改正が必要である」と記す。
 続けて「日本は、台湾から最も近い国であり、台湾と日本の南西地域は武力攻撃を受ければ同一の戦域となる。日本が傍観者のままでいられることはありえない」と書いた上で、脚注において、台湾を中国の一部と認めた「日中共同声明」と「日中平和条約」からの離脱を検討することも必要になるとまで説く。
 1972年9月29日、田中角栄首相と周恩来総理との間で締結された日中共同声明は、日中間の基礎をなすものであり、その後の日中平和条約(78年)、日中共同宣言(98年)、戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明(2008年)でも繰り返し確認されている。
 日中共同声明では以下の4項目が確認された。
 ①日中両国は、「一衣帯水」の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する(前文)。
 ②日本側は過去において、日本国が戦争を通じて、中国国民に重大な損害を与えたことについての
 責任を痛感し、深く反省する(前文)
 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する
 ことを宣言する(本文5項)
 ③台湾は中華人民共和国領土の不可分の一部である(一つの中国論、本文2・3項)。
 ④反覇権条項。日中両国は互いに覇権(武力で問題を解決しようとする)国家とはならない(本文7項)。
 文書では確認されていないが、尖閣諸島の領有問題についても、「その話はやめておこう」と棚上げとする合意があった。
 そして「戦争状態の終結と日中国交正常化という両国国民の願望の実現は、両国関係の歴史に新たな一頁を開くことになろう」(前文)とうたわれた。日中共同声明からの離脱も検討すべきという元陸将は、「離脱」が何を意味するのか分かっているのだろうか。戦争状態の終結をうたった日中共同声明はほごにされ、戦争状態に戻ることを意味するのだ。

戦後レジーム(憲法体制)からの脱却を公然と唱える元陸上幕僚長

元陸上幕僚長の岩田清文陸将は「自衛官は靖國に祀られるか」(『靖國』23年11月号)も、以下のように述べる。
「我々日本人は、いつまで靖國での慰霊を他国に配慮し続けるのか。当時の日本政府は、国民に対し命を捧げることを求め、その報いとして靖國神社での霊の奉斎を約束した。これは国家と国民との約束である。それが守れないのであれば、一体どの国民が再び政府の要請に応えるというのか」
「国家と国民の約束を守り続ける独立性、そしてその行為に対する外国からの干渉を排除して初めて、我が国は主権国家と言えよう。主権国家たる日本の姿勢の明示の延長線上に、自衛官の慰霊の在り方が議論されるべきだ。これまで呪縛を我が国自ら解放し、戦後レジームから脱却することを強く望む」
 確かに、戦前、日本国家は戦没兵士(戦病死も含む)を陸・海軍省の管轄する国家機関である別格官幣靖國神社でまつってきた。しかし、国家による靖國での追悼の約束は、「アジアの解放」による「大東亜共栄圏」建設の「虚構」の上でのものであったのではなかったか。靖國神社もその「虚構」の共犯者だった。
 1945年8月15日の敗戦を経て、「大東亜共栄圏」の「虚構」は崩壊した。戦後の新憲法下では靖國神社は国家機関ではなく、単なる一宗教法人にすぎない。
 それでも、国家に対して靖國での追悼という約束を守れと、戦後生まれで新憲法下で育った元陸上幕僚長が言うのか。この約束が守られなければ「主権国家と言えない」と言うのか。
 先の戦争の性質のいかんにかかわらず、国家は国民を戦争に駆り立てたのであるから。「戦場に死シ、職域ニ殉ジ、非命ニ斃レタ」(終戦の詔勅)戦没者を国家が追悼するのは当然である。しかし、その追悼の場が現在もなお聖戦史観によって立つ靖國神社であることが適切なのか。海没した兵士、餓死した兵士、非業無念の死を強いられた死者たちは「大東亜共栄圏」の「虚構」の共犯者であり、今なおその「虚構」を維持し続けている靖國神社に神としてまつられ、そこで追悼されることを望んでいるだろうか。
 230万人の軍人・軍属だけでなく、80万人の民間人を含むすべて戦没者を対象とした無宗教の国立追悼施設の建設が望まれる。ただし、そこでは戦没者に対してひたすら追悼あるのみであり、決して戦没者に感謝したり、称えたりしてはならない。感謝し、称えたりしてはならない。感謝し、称えた瞬間に戦没者の政治利用が始まり、戦没者を生み出した者の責任があいまいにされる。
「我々日本人はいつまで靖國での慰霊を他国に配慮し続けるのか」といき息まく前に、中国、韓国などからの靖國批判の中身を正確に理解しなければならない。
岩田氏は、靖國神社の前記聖戦史観が歴代の日本政府の公式見解と真逆なものであることを知った上で「自衛官は靖國に祀られるか」などと言っているのであろうか。(次回につづく)

内田雅敏(弁護士)
※本稿は内田さんのご承諾を得て、「月刊 社会民主」(2025年3月号)に掲載された論考を転載したものです。

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