メルマガ323号

今回のメルマガは当会運営委員の仲松典子さんからの投稿です。韓国尹大統領によって突然発令された戒厳令に対して、韓国国民はすぐに声を上げ、その暴挙に抗議し、撤回させました。この事件に対して、日本国民は隣国のこととして看過することができるでしょうか。本稿で仲松さんは憲法をないがしろにし、軍隊、武器開発、他国との共同軍事訓練、ミサイル配備等々をすすめる日本の状況に警鐘を鳴らします。ぜひお読みください。

私達は「道」に出れるだろうか

平和憲法がありながら、なぜ、台湾有事や朝鮮有事に怯えなければならないのか。
一言でいうなら、私達国民が憲法を大切にしてこなかったから、と自分は思う。憲法はいまや空気のように当たり前のものになって、国民は自由も民主主義も平和も当然に享受できるものと思い込んではいないだろうか。
Kポップや韓国コスメ、若者文化の先端を行くような韓国で突然発令された「戒厳令」を、私達日本国民はどのような思いで受け止めたか?
戒厳令?全世紀の遺物じゃなかった?広辞苑によれば、「戦時・事変に対し、立法・行政・司法の事務の全部または一部を軍の機関に委ねる宣告をする命令」だ。韓国憲法では大統領にそれを宣告する権限があり、発動すれば人権は大きく制限される。
 韓国には、「国が変な動きをしたら、道に出なさい」という教えがあるそうだ。「戒厳令」発布を知った韓国の人々は道に出、国会を目指し、抗議の声を上げた。そして戒厳令は撤回された。
韓国の歴史を思い起こしてみた。
 日本の過酷な植民地支配から脱するや、朝鮮の人たちは米ソの冷戦で南北に引き裂かれた。祖国統一を求めて、米軍占領下の南朝鮮で強行された分裂選挙に抗う人々を、米傀儡政権は徹底して弾圧し虐殺を繰り広げた。その後も南朝鮮(韓国)では民主化運動と軍事政権による弾圧が繰り返され、60年代の朴正煕・80年代の全斗煥軍事政権下での凄まじい弾圧を経ながらも、92年、軍事政権に終止符が打たれた。韓国の人々は文字通り血を流して民主主義を勝ち取ったのだ。
 この度の戒厳令発布に即座に反応し行動した韓国の人々の中には、自由も民主主義も自らの行動によってしか守れないという教訓が血となり肉となって脈々と生きているのだろう。命令に従うことを拒否した兵士達の存在には胸を打たれた。
 自由も民主主義も人権も平和も決して「当たり前」のものではない。私達はかけがえのない日本の平和憲法をどこまでかみしめてきただろう。軍隊、武器開発、他国との共同軍事訓練、ミサイル配備等々、憲法の想定しない事実が積み重ねられてきたのはなぜか。軍拡競争に過ぎない「抑止力」論が国民の間に忍び込む。「自然災害」は、改憲で総理大臣が緊急事態宣言発令の権限を握る後押しとなる。それが、国家が国民の権利を奪い、国家への協力義務を課す入り口になる危険性を国民は見分けることができるだろうか。

仲松典子(当会運営委員)       

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