今回のメルマガは南京沖縄平和友好訪中に参加された与那覇恵子さんからの投稿です。南京虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館)はじめ日本の侵略の現場をまわり、「自ら積極的に戦争を作り出し狂気や暴力を生み出していく人間の愚かさ、冷徹さを見せつけられた旅」だったと振り返ります。今週日曜日には今回のツアーの報告会が行なわれます。ぜひ本稿をお読みいただき、ぜひご参加ください。
「2024年第二回南京沖縄平和友好訪中団」の南京ツアーに参加して
南京に学ぶ:加害から知る戦争の本質
一般の平均的日本人には、1937年に始まる日本の中国侵略である日中戦争より米国参戦後の太平洋戦争の方が戦争の記憶や知識としてより多く刻まれているのでは?つまり、日本の中国に対する加害より日本が米国から被った被害の方が知られているのでは?ということは、日本のメディアによる報道は戦争の加害より被害を多く伝えているということになるのでは?例えば、上海事件や南京虐殺より東京大空襲や原爆投下が知られることとなり、だからこそ、南京虐殺の被害者は30万でなく20万だと数の論争をしたり、それ自体無かったかのような主張をしたりする人々まで現れてしまうのでは?
「南京・沖縄をむすぶ会」主催の5泊6日の「第2回南京沖縄平和友好訪中団」の旅は加害者日本人としての自らの姿に向き合う旅、被害者中国人の側に立って日中戦争を見る旅であった。被害者の立場に立つと、加害者の被害者数の論争やそれ自体を隠蔽する言論の前には、もはや伝える言葉も気持ちも失せ怒りを越えた悲しみしか残らないだろうと思える。日本防衛のための沖縄戦や日本独立と引き替えの米軍占領に堪えたあげく、復帰後の今、再び戦場になると指定され日本政府が推し進める戦争に怯える沖縄の人間にとってはすでに経験済みの感情である。沖縄で、不条理な日米政府に声をあげ10万人規模の抗議集会が何度開かれようが、本土メディアは10万人もいたかと数を疑う報道をし、結局声は無視され続けてきた。数を疑い、あげくには無かったとまで言い出す日本人に対し、1989年に設立された南京虐殺記念館(侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館)は何万もの資料、目を背けたくなる多くの写真、読むに堪えられない証言で、これは事実なんだと必死に訴えていた。人間はここまで堕ちることができる、戦争はここまで人間を非人間化できると教えていた。加害者日本人でもあり被害者沖縄人でもある個人として複雑な思いを抱きながら、戦争という構造的暴力システムのなかで簡単に人間性を失い狂気的暴力にのめり込むこむ人間のもろさ、底の浅さと、同時に、自ら積極的に戦争を作り出し狂気や暴力を生み出していく人間の愚かさ、冷徹さを見せつけられた旅であった。
上海の立ち並ぶ高層ビルの無数の窓、小窓から外の世界を眺める老人、部屋から突き出た棒に下がる洗濯物、一つ一つに人々の生きる日々があった。朝市の豊富な果物や野菜の山に売り買いする人々の大声が通りに響く、明日に続く今日という日の出発だ。それらを一瞬にして破壊し奪う戦争。生き生きとした現実の影に過去の戦争の暗い記憶に苛まれながら生きた人、今なお生きる人、1人1人に語り尽くせぬ戦争体験や記憶があった。その被害者1人1人のストーリーに耳を傾けてこそ、戦争の残虐さは身に染みてわかる。幸存者二世の常小梅さんの父親の9歳時の記憶も壮絶だった。父は日本兵の銃弾に倒れ、母は血の乳を殺された赤ん坊に与えつつ亡くなり、幼い兄弟達は銃剣に突き刺され次々殺され、傷を負うなかでレイプされた11歳の姉も数日後に死んだ。ただ、1人生き残った彼は人間不信というより人間拒絶の体験から、子供に笑顔を一度も見せない、愛情を示すことができない父親になった。悲惨すぎる体験は彼から感情を奪い去ってしまっていた。というより、感情をなくさなければ生きていけないほどの残酷な体験だったと言える。人間性を失った加害者日本兵の残虐行為は被害者からも人間性を奪い、子供達にも悲しみの連鎖を強いていた。
ある沖縄戦の研究者から、日本軍の兵士として徴集され中国戦争に参加し沖縄に戻った後、魂の抜け殻のようになってしまった父親の話を聞いたことを思い出す。加害者が感情を失うほどの戦争体験をしたがために、帰国しても自分自身を取り戻すことができなかったということだ。常小梅さんの感情を失った父親を持った悲しみのように、その子供達は働く意欲もなく感情表現も乏しい、魂を失ってしまったような父親を持ち貧困にあえぐという苦難を味わった。常小梅さんの父親の場合は被害者が子供達にとっては悲しみや寂しさを味わわせる存在になってしまった例だが、戦場にかり出された沖縄出身の兵士だった父親の例は、戦場での加害者が精神的被害を受け、子供達に悲しみや財政的負担を負わせる存在になってしまった例と言える。1人1人の人間に一代では終わらない影響を残していく戦争の恐ろしさを感じる。記念館では、日本軍のあまりの非道さに日本人がここまで堕ちた衝撃と恥と罪悪感に、見終えたコーナーでペンを走らせる中国の人々の間で、どうしても日本語で書くことができず英語で書いた感想文を「今の戦争準備に走る自民党政権政治家こそ、この場所を訪れるべき」と締めくくった。
沖縄に帰ってきてしばらくして、私は、この南京の旅に参加したメンバーから衝撃的な話を聞くことになった。他県出身で父親が兵隊として満州あたりにいて中国の戦争にも関わったという彼女いわく、「子供の頃、親戚のおじさん達がニヤニヤしながら中国での戦争の話をしていて、私が近寄ると『シーッ』と人差し指を口に当てた。南京虐殺の話だったのだと今にして思う。」あれほどの残虐行為を、戦後も心痛めること無く、ニヤニヤしながら話せるのが普通の日本人であるということに衝撃を受けた。ある意味、心は今も加害者のままであると言える。このような、戦争で日本軍として犯した深い加害に真剣に向き合ってこなかった人が多い日本だからこその、今の戦争準備なのだとつくづく思わされた。
目の前で全国的に拡大しつつある日米政府によって進められるアジアでの戦争準備だが、それに抗い、同じ間違いを起こさないために私達市民に何ができるのだろう。その答えを探す目的もあった南京訪問の旅であった。私達にできる戦争防止としてできることは、今回の旅で得た被害者の視点で日本の戦争加害を持ち帰り、今の戦争準備は政府が宣伝する中国脅威の被害者日本の防衛戦争ではなく、日本が再びアジアの戦争の加害者となる準備でしかないことを伝えることではないか。それを中国での加害より自国の被害を戦争終了記念日に思う、南京の旅の前の私と同じ一般の平均的日本人に伝えることではないか。またもや私達市民が否応なく被害者となるだけでなく加害者となることを避けるためにも。
与那覇恵子(当会共同代表)