メルマガ313号

今回のメルマガは湯浅 一郎さんから寄稿いただきました。オスプレイが沖縄に配備されてから12年、事故、騒音被害は続き、日本各地で飛行訓練が常態化しています。湯浅さんは2016年12月に名護市安部でのオスプレイ墜落事故から、奄美大島にオスプレイの低空飛行訓練ルートが設定されていることを突き止めました。そして、「飛行ルートが沖縄に近い奄美大島上空に設定されることで、沖縄島の北部訓練場や中部訓練場での着陸訓練や地形追随訓練、伊江島での模擬着艦訓練、沖縄島周辺での空中給油訓練などと組み合わせた「効率的」で総合的なオスプレイの訓練ができるようになっている」と指摘します。
今後、目撃情報を集めて飛行実態をつかみ、地方自治体を動かしながら日本政府として米側にルートの撤回を求めさせるべきだと提起します。ぜひお読みください。

奄美大島に米軍オスプレイの低空飛行訓練ルートがある  -辺野古新基地できればオスプレイは奄美を飛び続ける-

1.「オスプレイ安部墜落事故報告書」が示す奄美のオスプレイ低空飛行訓練ルート

今、奄美大島でオスプレイが日常的に目撃されている。奄美でのオスプレイの目撃情報がいつ頃からあるのかは定かではない? しかし2016年12月には始まっていたし、それも単に普天間から岩国や横田への行き来の途中で目撃されているのとも違うものと推測される。その根拠は、2016年12月13日、名護市安部の海岸に墜落したオスプレイの事故報告書の付属資料を含めた分析の結果、「奄美大島にはオスプレイの低空飛行訓練ルートが設定されている」ことがわかったことである。この点をリムピースの故頼和太郎氏による詳細な分析「安部墜落オスプレイの事故報告書を読む」(1)~(5)を基にフォローしてみる。
まず事故報告書本文で「ドラゴン06機(事故機)は、奄美低空飛行訓練ルートを高度500フィート(約150m)、速度240ノットで飛行していた」とある。さらに飛行計画コースを記した付属資料7から、事故機が普天間を離陸してから、どの方向に何海里飛んだのかがわかる。それをつなぎ合わせたのが図1である(事故報告書にこの図はない)。

図1 事故報告書から見える事故当日の事故機の飛行経路


L事故機の航跡は以下である。17時50分ころ普天間基地を離陸した後、沖縄島の東を北上し、東シナ海側に出て奄美大島に西から接近、奄美低空飛行訓練ルートを反時計回りに2周する(図1の右上)。往路を戻り中部訓練場で夜間着陸訓練を繰り返し、沖縄島の東海域に出て空中給油機と待ち合わせ、空中給油訓練を行う。つまり、この日、事故機は、奄美での低空飛行訓練、中部訓練場での夜間着陸訓練、そして沖縄島東北部の海上で空中給油訓練を行う3つの訓練を一連のものとして行う計画になっていた。
 このうちの奄美ルートを拡大したのが図2である。この日、事故機は図2の緑色の矢印のポイントから奄美の低空飛行ルートに入り、反時計回りに2周して青の矢印に沿って低空飛行訓練ルートから離れた。低空飛行ルートは奄美大島の大部分を南北方向に通っているが、一部海上ルートがある。海上では500フィート(約150m)の高度で飛び、陸上では地上から500フィートの高度を飛んでいる。陸上で最も高いところで1980フィート(約600m)を飛んでいて、このコースのすぐ横には奄美の最高峰湯湾岳(標高694メートル)があり、飛行高度はこの山頂より90メートルほど低い。

図2 奄美大島のオスプレイ用低空飛行訓練ルート


米海兵隊は、オスプレイの普天間配備に当たっての環境レビューで、オレンジ、イエロー、パープルなど従来から知られている6本の低空飛行ルートを年間330回飛ぶことを前提とした環境評価をしていた。ところが2012年の普天間配備後に6本の低空飛行訓練ルートでのオスプレイの目撃情報はほとんどなく、オスプレイはどこで低空飛行訓練を行っているのかわからない状況が続いていた。しかし、この疑問は、2016年12月、たまたま名護市安部でオスプレイが事故を起こしたことで解明されることになったのである。
 つまり安部の事故報告書から沖縄に比較的近い奄美大島上空にオスプレイのための新たな低空飛行訓練ルートが設定されていることがわかったのである。この奄美ルートは、オスプレイ配備前の環境レビューに出てくる6本のルートとは異なっており、戦闘攻撃機が飛ぶ従来から知られている低空飛行ルートとは全く別のものである。

2.まずは目撃情報を基に奄美ルートを検証し、日米政府に撤回を求めよう

奄美の地元紙には以下のように度々、オスプレイ目撃情報が記事になっている。
・「南日本新聞」2024年5月28日、「5月上旬、奄美市名瀬知名瀬の養護老人ホーム「なぎさ園」の上空をオスプレイが通過し、窓ガラスが揺れた」。「(屋久島沖事故の)事故原因を明らかにしないまま飛ぶのはやめて」「集落の上を低空飛行するので怖い」と不安の声。知名瀬には4年ほど前から飛来が相次いでおり、「夜間飛行が常態化していた」と指摘する声も多い。
・2019年4月19日、「奄美新聞」、目撃情報18件。ほぼルートに近い地点であることが分かる。これらの情報を図2に照らしてみると、ほぼルートに近い地点であることが分かる。
・さらに2024年9月9日、鹿児島県に提出した陳情書には、「最悪の野蛮飛行は,6月25日です。奄美市名瀬・上方地区から下方地区上空で,5回(5~10分間隔)の回旋飛行が行なわれています。さらに7月10日の20 時台には6回の回旋飛行が行なわれています」とある。これは図2のラインとは別に、むしろ飛行コースで囲まれた範囲の中で一定の空域に停滞して、繰り返し旋回飛行をしていることを示している。つまり訓練空域として使っていることがうかがえる。これは、飛行ルートを単なるルートとして飛行するだけでなく、線で囲まれた範囲を訓練空域として使用していることを意味すると考えられ、これは極めて重大である。
 パイロットは山頂などいくつかの目標を頼りに飛行しているが、元々、低空飛行訓練ルートは一本の線ではなく、むしろ飛行する範囲には一定の幅がある。目撃情報を集め、訓練ルートとその周辺での飛行の実態を浮き彫りにしていくべき。自治体や政府にその意思がない。現状では飛行実態の全体像は見えていない。今は住民の目撃情報を集約し飛行実態の全体像をまとめ、安部事故報告書から見えている奄美ルートとの関連性を検証するべき。その結果を地元自治体・鹿児島県に示し、奄美に新たな低空飛行訓練ルート、あるいは訓練空域があるとの認識を地域で共有することが急務である。その上で、鹿児島県などから問題を防衛省に突きつけ、日本政府として米側にルートの撤回を求めさせるべきである。
 オスプレイ用の低空飛行ルートが沖縄に近い奄美大島上空に設定されることで、沖縄島の北部訓練場や中部訓練場での着陸訓練や地形追随訓練、伊江島での模擬着艦訓練、沖縄島周辺での空中給油訓練などと組み合わせた「効率的」で総合的なオスプレイの訓練ができるようになっている。これは、米軍が奄美大島上空をオスプレイの訓練空域として使用していることを意味する。日本政府は奄美低空飛行ルートを認識してないかもしれない。政府に一切説明することもなく、一方的に奄美大島が米軍基地に組み込まれたのと同じである。
3.辺野古新基地ができれば奄美のオスプレイ用低空飛行訓練ルートは恒久化する
以上、整理すると、安部でのオスプレイ墜落事故報告書から既に普天間配備オスプレイの低空飛行訓練ルートないし空域として奄美大島が位置付けられていることが分かった。
辺野古新基地は、普天間基地をそのまま移転する計画である。普天間基地は、ヘリコプター部隊を中心に58機の軍用機が配備される米海兵隊の航空基地である。具体的にはヘリコプター(30機、CH-53E、AH-1Zなど)、垂直離着陸機(24機、MV-22Bオスプレイ)、そして固定翼機(4機、連絡機)である。その中心的機能を担うのはオスプレイ輸送部隊である。従って仮に辺野古新基地が建設されればオスプレイ用の奄美ルートは恒久化し、奄美は基地被害の当事者であり続けることになる。辺野古新基地を作らせるのか否かは、奄美大島の住民にとって自らの課題であることが見えてくる。
辺野古新基地埋立てに奄美からの石材、岩ズリの供給を許すことは、辺野古新基地建設に手を貸すこととなり、結果として奄美のオスプレイ飛行の恒久化を引き寄せることになってしまう。土砂の持出しを許さない取組みを強めることが、奄美でのオスプレイの低空飛行訓練を止めていくことにつながるはずである。同時に現在のオスプレイの飛行に反対する声を広げていくことも重要で、まずは鹿児島県に奄美低空飛行訓練ルートの存在を認識してもらうことから始め、その上で自治体をあげて政府に対し奄美ルートの撤回を求めていくよう働きかけるべきであろう。

湯浅 一郎(ピースデポ理事)

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