今回のメルマガは当会の新垣事務局長が、9月21日、22日 広島県呉市で「大軍拡と基地強化にNO!」西日本交流集会に参加し、呉、岩国を視察した時のリポートです。現場を確認し、「戦争のできる国」から「戦争をする国」へ、軍事大国日本の最前線であることを間近に感じ、凄まじい軍事強化がすすんでいることをうかがわせる内容です。ぜひお読みください。
広島呉、岩国視察報告
今回の広島呉集会の成果は、①沖縄だけでなく西日本各地が危機感を共有し、戦争を止める共同行動に踏み出したこと②議論しお酒を酌み交わして、「顔の見える関係」を築き連帯感を深めたこと。そして、私(新垣)にとっては、フィールドワークで、呉、岩国の巨大な基地を目にし、③沖縄だけでなく、「戦争をする国づくり」、巨大な軍事拠点化が呉、岩国で進んでいる現実を目の当たりにしたーことだ。
1日目。那覇から岩国基地に着陸する機内で「岩国基地の撮影はご遠慮ください」のアナウンス。具志堅隆松さんが「おかしいんじゃないか」と憤った。広島の新田秀樹さんに後で聞くと、 「米軍の好意で基地を使用させてもらっている立場で撮影禁止がまかり通っている。もともとどこの国の土地かと思うが、ネットにアップしたことが気に入らないのだろう。法的根拠は明確でなく、航空法の機長権限を根拠にしているようだ」とのこと。機内からテント型の施設に、ずらりとF35戦闘機らしい機体が並んでいるのが見えた。道の駅の展望台から見る嘉手納基地では、これほど至近に、多数の戦闘機を見ることはない。のっけから米軍、自衛隊、民間機が一本の滑走路を共同使用する岩国基地のありように驚き圧倒された。
2日目。広島駅から呉駅へ。駅前の巨大な金色のスクリューのモニュメントに度肝を抜かれた。「旧日本軍施設の日本遺産 案内ボランティア」のボードを持った女性が「日本遺産を案内しましょうか」と笑顔で声をかけてきた。「旧日本軍施設の日本遺産」とは何ぞや。
沖縄にも旧日本軍の陣地壕や集団自決壕を案内する平和ガイドがいる。「軍隊は住民を犠牲にする」戦争の悲惨さを知る平和学習の活動だ。「旧日本軍の日本遺産」の文言に、沖縄とは真逆の「旧日本軍を讃え、懐かしむ」趣きを感じ、案内をお断りした。
3日目。朝から呉基地を見学。自衛隊基地は祝日(秋分)とあって巨大な日の丸を掲げている。赤レンガの本庁舎は旧日本軍施設をそのままに引き継いだとのこと。これも「日本遺産」か。高所から、造船所を見学。大きな建物に「大和のふるさと」と大書する看板を掲げている。ここで戦艦大和は建造された。その建物を今も使い、鉄骨は当時のもの。看板に記した「JMU」は造船会社の社名で自衛隊の護衛艦などの艦船を建造。大型護衛艦「かが」は同社が建造、海自呉基地に配備された。空自ステルス戦闘機F35Bが離発着できる「空母化」の第一次改修工事はJMU呉のドックで行われた。
専守防衛から攻撃に踏み出す「空母」護衛艦が、戦艦大和を建造した呉の港で空母化された。すぐ近くの「歴史の見える丘」に「ああ戦艦大和之塔」が建立され、人の背丈ほどもある巨大な2つの砲弾「戦艦大和主砲徹甲弾」「戦艦長門主砲徹甲弾」が屹立している。「徹甲弾」とは敵艦船の甲板を貫く意味だろう。「歴史の見える丘」の説明版は「日本近代化の躍動を体感できるまち」と記してある。「日本遺産」の標章もある。「近代国家として西欧列強に渡り合う海軍力。日本の近代化を推し進めた4つの軍港都市」として、「呉、佐世保、横須賀、舞鶴」4市が指定される。4軍港は過去の「旧日本軍 日本遺産」に終わらず、現在の日米軍事拠点港だ。台湾有事に直結し、「佐世保」「横須賀」は、朝鮮有事にも直結し米軍が指揮する「朝鮮国連軍基地」でもある。
広島呉は浅はかにも、去る大戦の「旧日本軍港」が私のイメージだった。巨大な海上自衛隊基地、自衛隊の艦船、「空母」が建造・配備され、自衛隊の弾薬庫、案内した新田秀樹さんによると米陸軍の「東洋最大の弾薬庫」もある。台湾有事に向けてはミサイル弾薬、物資を南西諸島に運ぶ「自衛隊海上輸送群」が本年度に配備予定だ。さらに130ヘクタールもの日鉄の跡地が、「防衛複合拠点」に変貌しようとしている。
海上自衛隊の軍港に向かうと、桟橋に何隻もの潜水艦、自衛艦が浮かんでいた。特に巨大で真っ黒な潜水艦を目にするのは初めてで、強い衝撃を受けた。沖縄にはない光景だ。「戦争」は過去ではなく、日本は次の戦争に向かっている。「戦争のできる国」から「戦争をする国」へ、軍事大国日本の最前線に広島呉市があることを思い知らされた。
呉に続いて山口県の岩国基地を視察した。呉から40キロの近くにある。岩国を飛び立つ米軍機は厳島神社のある広島宮島の真上を飛び、「オレンジルート」「ブラウンルート」など中四国を低空飛行する。新田さんは「呉、岩国、佐世保、大分、佐賀、鹿児島。九州から中国、四国が重大な軍事拠点と化している」と強調した。
海上の巨大な岩国基地を海沿いの道路から見ていると、新田さんが米海軍のエリアに新たなテント型の駐機施設がズラリと並んでいるのに気付き、息を飲むのが分かった。最近、新設されたのだろう。新たな配備が決まった米海軍のF35C戦闘機、海軍オスプレイの駐機場となるのだろうか。さらに米軍機が増え、離着陸訓練が激しさを増すのは間違いない。
岩国基地は陸・海・空米軍と自衛隊が共同使用し、1本しかない2400メートル滑走路を日米の各種戦闘機、航空機が飛び交う中を、合間を縫って、民間航空機が離発着している。
私は「自衛隊が共同使用する那覇空港よりも危ない」と直感した。今年の正月、羽田空港で起きた民間機と海上保安庁機の衝突炎上事故は記憶に生々しい。那覇空港では自衛隊機と民間航空機が衝突し、民間航空機のエンジン部分がもぎ取られ、あわや爆発炎上の重大事故、民間機の目前を自衛隊ヘリが通過するなどのニアミスが何度も起きている。那覇空港は自衛隊との共同使用だが。岩国基地は自衛隊機だけでなく米軍機も滑走路を共同使用している。自衛隊機、米軍機の訓練離発着の頻度が増せば、当然、事故の危険性は高まる。那覇空港もそうだが、岩国基地でも羽田空港のような重大事故が起きかねないのではないか。そう感じた。
日米は昨年7月、米海兵隊のMV22オスプレイの飛行高度制限を160メートルから60メートルに緩和した。高さ60メートルなら飛んでいい、というのは尋常ではない。パイロットの顔さえ見えそうな低さだ。「沖縄県を除く山岳地の上空を対象」としており、岩国基地から広島、四国を飛ぶブラウンルート、オレンジルートでの低空訓練の増加、強化を狙ったものではないのか。沖縄では普天間基地周辺をオスプレイやヘリが日常的に低空飛行し、特殊作戦機の低空飛行も頻繁だ。オレンジルートでのオスプレイだけでなく空中給油機や特殊作戦機、戦闘機の低空飛行の激化が懸念されてならない。
岩国基地の沖合移設は、愛宕山を削った土砂をベルトコンベアで運び海を埋めた。岩国市の開発事業で山を削り、今は米軍住宅や病院が建つ愛宕山跡地の開発地区で、元市議の話を聞いた。山頂200メートルの愛宕山を50メートルまで削り、150メートル分、2000万立米の大量の土砂で埋め立てたという。墜落事故の危険性を除去するために沖合移設は市民の悲願だった。危険性除去を名目に、埋め立て建設費を日本政府が負担した。山を削った開発地に民間住宅を造る構想は、平成バブルで頓挫し、米軍住宅地に変更されたという。
話を聞き釈然としない。岩国基地埋め立てのために愛宕山は採掘されたのではないのか。それが岩国市の開発計画のために山を削り、不用な土砂を基地埋め立てに用いたというのは話が奇妙だ。危険性除去のための基地の沖合移設は1960年代から市民が要求していたが、90年代に米軍が基地拡張を求める中で沖合移設が現実化した。市民の危険性除去を名目に政府が移設費用を負担した。沖縄の普天間飛行場の辺野古移設と、構図が全く同じだ。米軍は60年代に辺野古基地建設を計画したが財政難のために見合わせた。それが市民の危険性除去を名目に、膨大な政府予算で辺野古新基地を米軍にプレゼントする。
辺野古新基地は当初、辺野古岳を削った土砂を埋め立てる防衛省の計画であったと米軍関係者は話している。防衛省内部で「岩国方式」と呼ばれたが、大規模な自然破壊に難色を示し、辺野古岳を削る「岩国方式」は見送られたという。
岩国基地と辺野古新基地は奇妙な類似点が多い。「アメとムチ」の国の補助金が行政判断を歪めて建設推進に市民を誘導し、反対運動が衰退していった経緯もよく似ている。岩国と辺野古新基地の歴史とありようから、日米安保、国策優先のこの国の姿が見えてくる。
新垣邦雄(当会事務局長)