メルマガ284号

 今回のメルマガは西岡信之さんからの投稿です。西岡さんは過去に起きた弾薬庫爆発事故をふまえ、今進められようとしている京都府精華町祝園弾薬庫建設など現在の計画が、ジュネーブ条約の軍民分離の原則に反する国際法違反にあたると指摘します。ぜひお読みください。

京都にも要塞化のうねり  軍民隣接の弾薬庫に拡大計画

◎軍民隣接の危険性―枚方・禁野火薬庫爆発事故から

 私が市職員として勤務していた大阪府枚方市で、過去に陸軍禁野火薬庫爆発事故が起きた。軍事施設と民間住宅が隣接していたため市民に甚大な被害を出した爆発事故である。アジア太平洋戦争・沖縄戦(第32軍の駐屯)からさかのぼること5年、1939年3月1日のまだ凍るような寒さの深夜2時、火薬庫は大爆発を起こした。中国戦線から送り返された砲弾の解体中の事故だった。天地を揺るがす大爆発で、弾薬の倉庫は次々と爆発炎上し、翌日夜7時まで29回の爆発を記録した。死者94名、負傷者602人、近隣の家屋は全半壊焼失821戸、4400世帯が被災した。火薬庫から半径2キロメートル以内はほぼ壊滅・焼失し、避難民は8300人を超えた。 爆風は枚方市にとどまらず、隣接する現在の交野市や淀川を越えた高槻市まで届き、窓ガラスや戸障子が壊れたという。校区の小学校も焼失、少し離れた京阪電車本線にも砲弾破片などが降り注ぎ、施設が破損したため5日間運行不能となった。消火作業等で消防団員15名、町会議員1名が殉職した。枚方市は、1989年に事故のあった3月1日を「枚方平和の日」として毎年平和事業に取り組んでいる。
 2019年、東京・市ヶ谷の防衛省交渉に出席した私は、宮古島の保良弾薬庫が民間住宅地に近いことから禁野火薬庫のような爆発事故の危険性を質問したら、「今の砲弾の信管はデジタル化しているから大丈夫」と若い防衛省の職員は言う。「それでも攻撃されたら爆発するでしょう」と追及すると、「そうならないために迎撃ミサイルを配備するのです」と平然と答える。「弾薬庫から200メートルしか離れていないところにあなたなら住みますか」と聞くと、質問には答えなかった。
 軍事施設の近傍、隣接する民間住宅がどれだけ危険か、禁野火薬庫爆発事故は教えている。2004年日本政府も加盟した国際人道法のジュネーブ条約第一追加議定書には、軍隊と住民を引き離すことで住民の犠牲を減らすための「軍民分離の原則」をさまざまな事例をあげて規定している。軍事施設と民間住宅が隣接することは国際法違反なのだ。

◎移設先の京都府精華町の祝園―弾薬庫強靭化計画

 禁野大爆発事故で火薬庫は、使用不能となり移転することになった。陸軍は、枚方に近い京都府川西村(現・精華町)の祝園(ほうその)に次の弾薬庫を建てることにした。大阪市城東区の大阪城公園北東部に位置し戦前までアジア最大規模の軍需工場であった陸軍大阪砲兵工廠と国鉄片町線(現・JR学研都市線)の線路で祝園弾薬庫をつなぎ、砲弾貯蔵数では全国一位の大弾薬庫に生まれ変わった。
 そして現在。「台湾有事」を前提にした沖縄・南西諸島の軍事要塞化のうねりは、祝園にも及ぶ。防衛省の大軍拡予算化により陸上自衛隊の京都・祝園弾薬庫も拡大強靭化計画に位置付けられた。「台湾有事」の後方兵站施設としてトマホークミサイルや開発中の12式地対艦ミサイルを貯蔵する施設に変貌する。2024年度予算で102億円が計上され、新たに8棟の弾薬庫の新増設、司令部庁舎の建替えなどの計画が明らかになった。
 しかし、これだけの弾薬庫の強靭化計画であるにもかかわらず、政府・防衛省は地元住民には一切、具体的な説明をしていない。
 1960年、日米安保条約の締結にともなって祝園弾薬庫が米軍保管から陸上自衛隊に所管が移る際、精華町の住民は、移管ではなく撤去・返還するよう大運動を展開した。その結果、確認書を勝ち取る。弾薬庫返還こそ実現できなかったものの⑴土地、貯蔵施設の拡張はしない⑵現施設の貯蔵能力以上は貯蔵しない。増加の場合は町側と事前協議する。これらについて当時の精華町長、防衛庁大阪施設長、陸上自衛隊中部方面幕僚長の3者は、当該役所の公印まで押印した確認書を取り交わした。
 ところが、最近の衆院外務委員会の政府答弁では、「確認書には契約的意味合いはない」などと強弁し、とても法治国家とは言えない不誠実、不当な態度で弾薬庫の強靭化を強行しようとしている。
 この祝園弾薬庫強靭化問題はひとり精華町の住民だけの問題ではない。そのため近隣の京都府京田辺市、木津川市、大阪府枚方市、奈良市などの住民有志が「京都・祝園ミサイル弾弾薬庫問題を考えるネットワーク」を今年3月に結成した。5月には、大学習会を精華町の施設で300名を超える会場満杯で開催した。講師に私が招聘され国際人道法の「軍民分離」原則について講話した。

◎弾薬庫の強靭化計画は国際法違反の暴挙

 国際人道法ジュネーブ条約第一追加議定書は、1975年終結のベトナム戦争が軍人よりも一般市民の犠牲者が圧倒的だった反省から戦争における文民(住民)保護を初めて制定した。その中軸となる考え方が「軍民分離」原則だ。
 第4編「文民たる住民」第48条の軍事行動は軍事目標のみを対象とする軍事目標主義から始まり、住民への攻撃禁止の51条、民間施設の攻撃禁止の52条、攻撃の際の予防措置を定めた57条などには、住民や民間施設を防御するため、住民と戦闘員や民間施設と軍事施設を明確に区別し、軍事施設だけを攻撃の対象にすることを定めている。これが「軍民分離」原則だ。
 しかし、京都・精華町の弾薬庫をはじめ政府・防衛省は2024年度予算で全国14ヵ所の弾薬庫を222億円で新増設・強靭化を強行しようとしている。多くの弾薬庫が民間住宅に隣接しているため戦争から一般住民の犠牲をなくす国際人道法を無視する国際違反の暴挙と言わざるを得ない。

西岡 信之(沖縄国際大学 平和学担当元非常勤講師)

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