メルマガ282号

今回のメルマガは海上自衛隊呉基地を抱える広島の現状を、監視・反対運動を続けるピースリンク広島・呉・岩国世話人の新田秀樹さんに報告いただきました。新田さんには11日の当会企画の報告集会でもご登壇いただきます。ぜひお読みいただき、ご参加ください。

広島に巨大防衛拠点計画 海自基地強化 呉市は歓迎

今年3月、防衛省は広島県呉市で昨年操業を停止した日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区の跡地約130ヘクタール、東京ドーム28個分の広さの土地を「多機能な複合的防衛拠点」整備のため一括購入する意向を県と市に提示した。「呉は米軍岩国基地や陸上自衛隊13旅団や佐世保などにも近く、非常に重要な場所にある」と説明している。複合防衛拠点とは(1)装備品の維持整備・製造拠点(2)防災拠点や部隊の活動基盤(3)岸壁を利用した港湾機能-の三つの機能を一体的に備えているという。

侵略拠点の歴史

 広島といえば国際平和都市を想像する人も多いだろう。1発の原子爆弾による無差別攻撃からの復興を後押ししたのが広島平和記念都市建設法であった。憲法95条、特定の自治体にのみ適用される法律は住民投票を必要とするという規定に基づいて圧倒的な市民の賛成をもって成立している。その背景には旧陸軍第5師団の拠点として日清戦争以降、アジア侵略の拠点として発展し、広島港からは大量の兵士を大陸へと送り込んだ歴史を持つ街でもあった。
原爆ドームからおよそ20キロ南東に呉市がある。この街もかつては旧海軍呉鎮守府の置かれた侵略拠点であった。呉市は東洋一の軍港といわれ、海軍工廠(こうしょう)(兵器工場)では戦艦「大和」を含め多くの軍艦などが製造された。1945年4月からは度重なる空爆を受け、街は焼き尽くされ、沖合には撃沈され身動きが取れなくなった軍艦が横たわっていた。海軍工廠で働く労働者などで一時は40万人を超えた人口は、敗戦後の海軍解体と共に職を失い、半数以下に落ち込んで街は一変した。平和行政の裏で この呉市でも戦後復興を支えたのは旧軍港市転換法であった。旧海軍鎮守府の置かれた4市のみに適用される法律で軍の街から平和産業港湾都市へと住民投票で圧倒的な市民が賛同した。しかし、54年の自衛隊発足と共にその理念は生かされず、現在国内最大級の海上自衛隊基地(84ヘクタール)を抱える街になっている。 加えて、原爆ドームから南西約35キロには県境をまたぎ山口県の米軍岩国基地がある。原子力空母の米海軍艦載機部隊と米海兵隊戦闘機部隊など約130機が配備されたアジア最大の戦略拠点の一つでもある。また、米陸軍の県内3か所の弾薬庫の司令部は呉市にある。これらの基地がひしめき合う広島湾に広島市は存在している。戦後の平和行政は核兵器廃絶とは裏腹に軍事基地の問題には言及してこなかった。広島平和記念公園の慰霊碑に刻まれた「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」というメッセージは実践されたとは言い難い。 私たちが活動を始めた84年ごろは弾道ミサイルに変わって、核弾頭搭載可能な巡航ミサイル「トマホーク」を米艦船に搭載して横須賀や佐世保に配備され、広島湾を航行し呉港にも入港している。冷戦下、広島が核の発射地になったかもしれないわけだ。行政に申し入れをしても反応は鈍かった。 この40年の間にさらに軍事拠点化は進んでいる。91年、湾岸戦争後の機雷除去の名目で掃海艇が呉基地から自衛隊の初の海外派兵が始まった。翌年はPKOカンボジア派兵のための輸送艦派兵、2001年当時の小泉純一郎政権によって、戦地のペルシャ湾へ米軍などへの燃料などの補給のため補給艦が派遣され、現在、ソマリア沖海賊対処という名目で護衛艦が海外で活動を行っている。先島へ弾薬輸送 海上自衛隊呉基地には現在、国内最大の潜水艦基地もあり12隻が配備され、護衛艦、補給艦、音響測定艦や宮古島や石垣島への弾薬輸送を担った大型輸送艦が3隻など40隻余り配備されている。空母に改修された護衛艦「かが」も呉基地の所属であり、多用途かつ、最大の海上自衛隊基地である。とりわけ「かが」は岩国基地の米海兵隊やこれから新田原基地(宮崎県)に配備予定の短距離離陸可能なF35Bが搭載可能であり、上陸舟艇LCACをそれぞれ2隻搭載した事実上の揚陸艦である大型輸送艦は日米共同演習などでは中心的な存在になっている。 もともと呉市では旧軍港市転換法に基づいて旧海軍施設は自治体に無償譲渡あるいは貸与で公園、学校などの公共施設、または民間企業への有償譲渡で生まれ変わっていった。その一つが現在の日鉄跡地でもある。海軍の弾薬を作っていた工場跡地は製鉄所へと変わり、軍艦を造っていたドッグは民間の造船所へと戦後の呉の発展に貢献した。 しかし、自衛隊発足と共に旧海軍の中心部分は自衛隊基地へと変わっていった。呉市行政はいまだに軍施設として残っている米陸軍弾薬庫の返還を求めながら、自衛隊施設は日本の平和に貢献しているとして容認している。それどころか、自衛隊との共存共栄を進め積極的に歓迎しているのが実情である。 集団的自衛権行使、安保法制から安保三文書改訂の過程で自衛隊が大きく変わっている。本当に呉市の言う平和に貢献している組織なのか。 膨大な防衛費を使い、琉球弧の島々を中心に米軍と共同演習を繰り返している現状でどうなのか。本年度末に、自衛隊統合司令部が市谷に創設され、呉には海上輸送群が新設される。このことと日鉄跡地問題は無縁ではない。後方支援基地として、再び軍事拠点にさせてはならない。新田秀樹(ピースリンク広島・呉・岩国世話人)
(写図説明)広島県呉市にある日本製鉄の瀬戸内製鉄所呉地区。防衛省は「多機能な複合的防衛拠点」を目指している。近くには海上自衛隊呉基地がある。奥は呉市街=2023年9月撮影(共同通信社ヘリから)
(写図説明)事実上の空母化に向けた改修工事の第1段階が完了した海上自衛隊の護衛艦「かが」。手前の艦首部が台形から四角形に変わった=2024年4月撮影、広島県の海自呉基地

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