メルマガ273号

今回のメルマガは軍事ジャーナリストである小西誠さんからの寄稿です。自衛隊幹部の靖国参拝、靖国神社宮司への元陸幕長の就任など自衛隊の戦前回帰ともいえる動きが今年に入り急速にすすんでいます。こうした動きの背景はどこにあり、その問題の本質は何か、自衛隊はどの方向にむけて進むべきかについて小西さんが鋭く展開しています。
ぜひお読みください。

自衛隊は皇軍に回帰するのか?

6月4日付琉球新報社説は、陸自第15旅団サイトの第32軍牛島司令官の辞世「皇国の春に甦らなむ」などを引用し、「自衛隊は『皇軍』に戻るのか」と糺す。筆者も最近報じられた自衛隊の靖国集団参拝に深い危惧を抱いている。
 ことの発端は今年1月、小林陸幕副長ら22人の公用車を使った靖国神社集団参拝が発覚したことだ。これは1974年事務次官通達「部隊参拝禁止」違反であるが、陸幕副長ら3人は懲戒処分にはあたらない訓戒、陸幕長は注意とされた。
しかし、制服組の靖国集団参拝が次々に明るみに出る。23年5月には、海自一般幹部候補生課程修了の初級幹部ら165人が遠洋航海に先立ち、集団参拝を行ったことが判明。この参拝は、57年以降、今回で67回を数えているが、海幕は「私的参拝」と強弁し、今に至るまで何の処分も下されていない。また今年1月、宮古島駐屯地司令以下20人が、制服着用の上、公用車を使い宮古神社を集団参拝したことが判明(処分なし)。
自衛隊の靖国集団参拝は、今回発覚した部隊だけの問題ではない。幹部自衛官の養成機関である防衛大は、毎年11月、学生百数十人による制服着用での靖国参拝を行事化しており、陸自高等工科学校・1学年約350人の靖国参拝も明らかになった(同校の旧ツイッターで公開)。
筆者は、この同校の「社会科研修」という靖国集団参拝にとても驚いた。なぜなら、この学校の前身自衛隊生徒として筆者は、かつて社会科研修という靖国参拝を経験していたからだ。つまり、同校の靖国参拝は、何十年も継続して行われていたのだ。

自衛隊の靖国集団参拝は、74年事務次官通達で禁じられている。「神祠、仏堂、その他の宗教上の礼拝所に対して部隊参拝すること及び隊員に参加を強制することは厳に慎むべきである」。またこれ以前にも、63年陸幕長の「宗教行為に関する通達」で禁止されていた。だが実際には、全国の部隊で靖国集団参拝が行われてきたのだ。
 事務次官通達等が形骸化し、陰に陽に靖国集団参拝が強行されていることには、もっと深い背景がある。その一端が最近次々に明らかになりつつある。
 今年3月18日、靖国神社は、宮司という最高責任者に海自元海将・大塚海夫の就任を発表(将官では初、元自衛官では二人目)。元とはいえ自衛隊最高高官が靖国の代表になったのだが、靖国との繋がりはこれに留まらない。靖国の崇敬者総代に、12年に元統幕議長寺島泰三、19年に元海幕長古庄幸一が就き、23年には寺島に代わり元陸幕長火箱芳文が就任したという。
周知のように靖国神社は、1946年までは旧日本軍の施設であり、戦死して靖国神社に祀られることが最高の栄誉だと信じられ、戦死者を「英霊」=神として祀る施設である。つまり、戦争による死を名誉の戦死、尊い犠牲として褒め称え、この戦死者の慰霊・顕彰とともに、日本の「大東亜戦争」が正しかったことを使命として掲げる。この歴史観から東条英機らのA級戦犯を昭和殉難者として合祀しているのだ。

靖国集団参拝の常態化をみると、今日自衛隊はその精神・思想・軍紀の全てにおいて、旧日本軍=皇軍に回帰しつつあるのではないのかと思われる。しかし、もともと自衛隊は、旧日本軍と完全に断絶したことはない。  
これは自衛隊の発足にも起因する。自衛隊には、1950年代に戦犯解除された日本軍将校約千人以上が入隊し編成されてきた歴史がある。特に海自は、日本海軍の掃海部隊が一度も解隊されることなく存続し、旧海軍の伝統を引き継いできたと公言している。
靖国参拝問題は、自衛隊がその精神・思想において日本軍を底流で継承するだけでなく再び回帰したこと示す証左でもあるが、同時にまた自衛隊が組織として「自衛隊員戦死者」の靖国合祀に向け、公然とカジを切ったということでもある。そのためには、事務次官通達など無視するということだ。
そして、この強引な在り方の背景には、現在の南西シフトを突破口とする「対中戦争態勢」づくりの最大の難問である「戦死者」問題がある。つまり「自衛隊員は何のために戦い、死ぬのか」という難問を、靖国に祀ることで解決しようとしているのだ。だが、こんな「古い証文」を持ち出して、自衛隊員の死生観を作りだすことも、戦争の不正義性を糊塗することもできはしない。

陸自第32連隊が、旧ツイッターで大東亜戦争という用語を用いたことも批判された。しかし大東亜戦争は自衛隊の正式用語だ。陸幕監修教範『精神教育』は、この用語を8回も記述し、あの侵略戦争を今でも正当化する。
「大東亜戦争について考えてみよう。日本は侵略者として烙印を押された。あの戦争も実は日本にとっては自存・自衛のための止むに止まれぬ戦いであったと同時に、一面には自由なるアジア解放という正義と人道の立場に立つ聖なる戦いでもあった」
 ところが、この自衛隊も70年代には、旧軍思想を遠ざけ民主化を目指したときがあった。坂田道太防衛庁長官(74年当時)による「市民としての自衛官」の提唱だ。
「自衛官が一般市民と同質の存在であり、自衛官はいわば『制服を着た市民』であること、一般市民のもつ道徳規準がそのまま自衛官にあてはまること」(陸自精神教育参考資料『民主主義の擁護』82年)。
 自衛隊が対中国戦争態勢づくりに突き進もうとしている中、今一度、自衛隊員らも、この原点に立ち返るべきではないか。

小西誠(軍事ジャーナリスト)
※本稿は小西誠さんのご承諾を得て、琉球新報文化欄での論稿を転載配信
したものです。

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