メルマガ271号

今回のメルマガは新聞に寄せられた沖縄の声です。戦争を許さない思い、軍事強化への不安と怒り、平和への強い思いがひしひしと伝わってきます。ぜひお読みください。

沖縄の声(6月19日)

6月19日 琉球新報 那覇市 61歳 女性
「消えない記憶」
 梅雨晴れの澄んだ青空にあの時の悲鳴は鳴き響く。忘れられない日々は今での父の脳裏に焼き付く。今年90歳になる父が10歳の時に戦争が起きた。
 初めは花火かと思った砲弾から逃げた。ただ、走り続ける。親きょうだいともはぐれ、近所の人と逃げた日々。たくさんの遺体を避けながら逃げた日々。消えない記憶。近頃では認知が進み、今の記憶は消えていくが昔の記憶は消えない。
 この時期になると戦争で亡くなった末の妹のことをよく話す。いつも慕ってくれた妹の手を離してしまったことを今でも後悔している。時々夢に出てきて変わらぬ5歳の姿のまま自分を追いかけてくるのだという。(略)戦争がなければ皆幸せに暮らせただろう、とずっと考えている。戦争は全ての幸福を破壊した。(略)

6月19日 琉球新報 那覇市 74歳 男性
「戦争反対は平和の力」
 戦争体験者の講話は何度聞いたか分からない。一例を挙げると、宮城喜久子先生(元小学校教員)は戦争の時15歳、一高女の生徒でひめゆり学徒隊として傷病兵を看護した。次から次へと来る兵士の世話は想像を絶するほど大変だったという。(略)
 戦後の生活も大変で、姉は2歳で栄養失調とはしかで亡くなった。戦争はこの世の地獄だ。戦争する覚悟など言語道断、戦争回避は外交努力しかない。戦争反対の声は平和の力。

6月19日 琉球新報 豊見城市 70歳 男性
「わが家の戦争体験」
 月桃の花が咲く頃、祖母が戦争のことを語ったことを思い出す。(略)
 次第に爆音が近づき南の方に逃げた。暗闇の中を移動するうちに祖母の姿が見えなくなった。引き返すこともできず置き去りにした。米兵に見つかった。捕虜にされて宜野座村に移された。
 「ヤナイクサガネーラーンネーカナシチャクシ『甲種合格』シナサンティンシムタンムン(ばかな戦争がなければいとしい長男は甲種合格しなくて済んだのに)、天皇陛下ガニクイ」と祖母は嘆いた。
 自由と家族を切り離す戦争を決して起こしてはならない。平和のありがたさに感謝し日々懸命に生きたい。

6月19日 琉球新報 ティータイム うるま市 73歳
『悪石島』と平良啓子氏
 沖縄戦が近づいた1944年8月22日夜、疎開児童らを乗せた対馬丸は鹿児島へ向かう途中、悪石島沖で米潜水艦に撃沈され児童784人を含む1500人が犠牲になった。
 (略)中学生の時、隣りの喜如嘉小中学校の平良啓子先生の生還談が載っているということで『悪石島』を読んだ。(略)
 泳いで必死にいかだに乗り込んだこと、サメに襲われる人々を見たこと、漂流中にいかだで数人が死んだこと、島に漂着して砂浜を掘って水を得たこと、漁船に助けられておじいさんの膝に座ったこと。(略)故郷に生還した時、一緒に乗船して亡くなったいとこのお母さんに「うちの子は置いてきたの」と言われた話だった。言われた少女の苦しみ、娘が帰って来ず思わず言ってしまったであろう母親の悲しみを思うと心が痛んだ。
 対馬丸のような悲劇を、戦争を二度と起こしてはならない。

6月19日 琉球新報 論壇 豊見城市 81歳
「団結して不条理跳ね返そう」
 1040年頃、米英相手に交戦やむなしとした政府と軍は国民に対し、皇民化と軍国教育を徹底した。それは標語や歌による洗脳教育でもあった。「欲しがりません勝つまでは」「ぜいたくは敵だ」などと言いふらし、武器製造に必用な金属類を強制的に供出させた。また「わが国は神風が吹く国で負けるはずがない」「国民は天皇の赤子である」とし「天皇のために戦死することは至上の名誉」「戦死後は靖国神社に神と祭られる」などと宣布、洗脳した。
 その結果、沖縄戦では老若男女が従軍、または学徒として動員された。巻き込まれた住民含め20万人余のあたら命が失われたのである。軍は勝ち戦とうそ八百の戦果を発表し、信じた兵と国民はひたすら交戦し、戦場に散り、戦火に倒れたのである。(略)
 翻って、今日の沖縄は先島や本島各地の自衛隊基地が増強され、ミサイルさえ配備されている。中国、北朝鮮を意識し、台湾有事に備えたわが国防衛の南西シフトだという。このことは万一有事の場合、再び沖縄が戦闘の地になるのではと危惧している。うるま市の「陸上自衛隊訓練場建設」問題ではうるま市の現・元市長と議会、県、県議会、有識者、住民、他の町村が反対した結果、防衛大臣が「建設不可能」と撤回した。(略)
 「県民が思想信条を腹八分に収め、団結すれば不条理に対する大きな力となる」と説いた政治家がいたが、まさにその具現化と言えよう。(略)

6月19日 琉球新報 恩納村立恩納小6年 女子
 私は3日に学校で、平和学習フィールドワークに参加しました。
 平和学習フィールドワークとは、平和学習をする前に私たちの地域の戦争について知識を高めるため、実際の場所に行って学ぶ学習のことです。
 この学習を通して、戦争についての考え方が変わりました。なぜなら、戦時中に何があったのかをたくさん知ったからです。
 アメリカ軍が来ないようにこわした「赤橋」のことや、つくったけれと使わなかった「ギナン原トーチカ」のことを知り、戦争に興味を持つと同時に、ぜったいにくり返したらいいけないことだと感じました。
 私の戦争への興味を持つきっかけとなった恩納村博物館の瀬戸さんには、とても感謝しています。この思いを忘れないように、これから本や飼料などを読み、もっと考えを深めたいです。

6月19日 琉球新報記事 「日本のため犠牲になって」住民、マラリアの死地に
※戦時下で波照間島住民はマラリア有病地の西表島に強制疎開させられた。
 「勝ってくるぞと勇ましく 誓って国を出たからは」。1944年当時、波照間国民学校1年の波照間シゲさん(86)は軍歌を高らかに歌い、集団で登校した。
 島に軍人が来たのは45年。陸軍中野学校出身の軍曹、山下虎雄(本名は酒井喜代輔)が教師と身分を偽り、青年学校に赴任した。沖縄戦を指揮した第32軍が送った離島残置諜者だった。
 3月、山下はマラリア有病地の西表島に疎開するよう住民に命じた。反対する住民には抜刀した。島の有力者にこう頼んだという。
 「敵が慶良間に上陸して日本軍の配置がもれたので陥落した。八重山にも起こらないと限らないので、日本全体、八重山全体のために犠牲になってくれ」。国を守るために住民の命は軽んじられ、死地へ追いやられた。
 山下を派遣した第32軍の目的は波照間の住民を監視し、少年少女らを組織してゲリラ戦を展開することだった。当時15歳の大仲シズ子さん(95)も動員された1人。住民んが移動した後もしばらく島に残った。「アメリカが上陸してきても動くな、竹やりで最後まで島を守れ、と言われていた」。
 山下の監視と暴力は続いた。大量発生したハエをわずかしか捕れなかった13歳の少年を殴打し、命を奪った。マラリアの死者が増える中、住民の島に帰りたいという懇願も拒んだ。大仲さんの弟、2歳の善榮さんも命を落とした。
 「とってもかわいかったんだよ」。大仲さんは涙を浮かべた。79年たっても悲しみは癒えない。
 戦後、島を訪れた山下に住民は抗議文書を突き付け「退島」を迫った。「疎開しなかったら殺された。そうでなかったら誰があんな所へ行くか」。大仲さんは怒りをぶつける。
 今、日本政府は南西諸島での戦闘を想定し、県外避難計画と具体化させている。優しかった母親をマラリアで亡くした波照間さんは願う。「苦しい悲しい体験は二度としたくない」。今年、波照間島の丘に慰霊碑が建立された。急激な再軍備の波に立ち向かうようにたたずむ。(中村万里子記者)

6月19日 沖縄タイムス 西原町 75歳 男性
「恐ろしい『地方自治法改正案』」
 恐ろしい法律「地方自治法改正案」が自民、公明、日本維新の会、国民民主党の賛成多数で5月30日に衆議院で可決、参議院に送られた。災害時に国が「非常事態の恐れ」と判断した段階で、地方自治体に有無を言わせずに国に従わせる内容である。
 災害の具体的な規定もなく、何が「非常事態」で「恐れ」とはどういう状況か明確ではない。国が恣意的に判断できるようになっている。
 台湾有事で戦争に巻き込まれると政治が恣意的に判断すれば、軍事優先となり軍事基地や軍備を強化し、公道や港湾を優先的に軍事利用することができる。まるで、1937年に閣議決定した「国民精神総動員運動」のように、旧日本軍が強制的に住民を戦争に協力させようというする一面を含んでいる。
 この悪法成立に反対だ。もう二度と沖縄を戦場にしてはならない。

8月19日 沖縄タイムス 豊見城市 83歳 男性
「軍拡で『住民守る』はまやかし」
 孫引きだが栗栖弘臣元統合幕僚会議長著の「日本国防軍を創設せよ」(小学館・2000年)に「自衛隊は国民の生命、財産を守るためにあると誤解している人が多い。国民の生命、財産を守るのは警察の役目ではあっても武装集団である自衛隊の任務ではない」とあるという。「自衛隊最高幹部が語る台湾有事」(新潮新書:)にも同様の記述がある。
 自衛隊員が住民を守らないと言っているのに、岸田文雄首相のいう「自衛隊配備軍拡で住民の生命財産を守る」は、まやかしで方便だ。43兆円増の軍事費は、軍需産業国家アメリカのバイデン大統領にせっつかれ、トマホークなどを爆買いするためだ。
 アメリカの本土上陸の時間稼ぎに地上戦を強いられた沖縄県民は、軍隊(自衛隊)は住民を守らないことを知っている。「戦争をしない、させない」外交に徹することが、岸田首相をはじめ政治家の役目である。セイフヌ ユクシムニーカイ ダマサッティヤ ナイビラン(政府のうそにだまされてはならない)。

6月19日 沖縄タイムス 糸満市 中1 女子
「平和学習で戦争の怖さ知った」
 12日に高嶺中学校で、安里拓也さんによる平和講演会がありました。
 戦争がいつ始まったのか、米兵と日本兵がどんな争いをしたかなど、いろいろ話してくれました。
 嘉数の戦いで実行した日本へのたこつぼ作戦が、あまりにひどい作戦で驚きました。また沖縄戦で沖縄の住民や兵隊が多く亡くなっているし、その亡くなり方もみんな違う亡くなり方だと分かりました。
 全校生徒で戦争の体験をしました。戦争のときにどこに逃げてもなにをしても、亡くなる確率が高いということを再現してみて分かりました。
 戦争では栄養失調やマラリアなどの病気、鉄砲による攻撃などで多くの人が亡くなったり、苦しんだりすることを聞いて、「戦争が怖い」「戦争が二度と起こらないでほしい」と思いました。

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