メルマガ270号

今回のメルマガは「沖縄きょうの歴史」と題して、沖縄戦前から現代にいたるまでの軍事、基地問題に関連して、何があった日かをトピックでご案内します。ぜひお読みください。

沖縄 きょうの歴史6月17日~24日

6月17日
▼那覇市議会の最大会派、自民党新風会は本会議に、安倍首相が目指す集団的自衛権の行使容認について慎重審議を求める意見書案提出の方針を固める(2014年)▼沖縄の市政権返還協定調印式が、衛星中継で東京とワシントンを結び開かれた。招待された屋良主席は欠席。復帰協は「県民無視の返還協定」として、那覇市で1万人、名護、八重山で抗議集会(1971年)▼ベトナム撤退米海兵隊員約5000人がホワイトビーチ上陸。屋良朝苗主席、撤退米兵の沖縄駐留反対声明(1969年)

6月18日
▼ひめゆり学徒隊に解散命令。米軍の沖縄上陸後、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒らは学徒隊として動員。解散命令後の数日で100人余が悲劇的な最後を遂げた(1945年)▼コザ騒動事件の被告4人に有罪判決。公共危険罪適用。抵抗権は退ける。那覇地裁コザ支部(1975年)▼立法院が沖縄返還協定について日米政府に感謝する決議を自民党単独で決議(1971年)▼伊波洋一宜野湾市長が市議会で米海軍病院の移設受け入れを拒否。「海軍病院のような恒久施設を造ることは到底容認できない」と強調した▼本島中部の米軍基地周辺の河川などで有機フッ素化合物(PFAS、PFOA)が高濃度で検出されている問題で、米軍が嘉手納基地で実施した水質調査で汚染が確認され、その結果を日本政府も共有していたことが分かった(2019年)▼心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症、また発症する可能性が高い心の傷(トラウマ)を、沖縄戦体験者の約4割が抱えていることが民間の調査で判明(2013年)

6月19日
▼名護市辺野古の新基地建設を巡り、農水省がサンゴ類の移植を沖縄防衛局に許可する県に指示したことの違法性を審査している国地方係争処理委員会が、農水省の指示を取り消すよう求めた県の申し出を退けた(2020年)▼米軍属女性暴行殺人事件に抗議する県民大会が奥武山陸上競技場で開かれ、6万5千人が参加(2016年)▼立法院代表がスナイダー駐日米沖縄担当公使と会談。代表が米軍犯罪に申し入れことに対し、公使は「沖縄で立法院が犯罪をなくすことができれば、われわれも犯罪をなくす」と答弁。代表団が県民への侮辱と抗議(1970年)▼アイゼンハワー米大統領が、2時間余の沖縄訪問。沿道には大統領を見ようと10万人余が詰めかけた(1960年)▼米軍が軍事基地区域の撮影禁止を公布(1953年)▼米軍ミサイル基地で発射演習直前のミサイルが発火。米兵1人死亡、5人重傷(1959年)

6月20日 
▼東村議会が村内の米軍北部訓練場N4地区のヘリパッド2カ所の即時撤去などを求める意見書などを全会一致で可決。撤去要求に踏み込むのは初めて▼ノーベル文学賞作家の大江健三郎氏が新基地建設の工事が進む名護市辺野古を訪問。建設に反対する市民の行動に「市民側が勝つという印象を持った」と語る(2015年)▼座間味村阿嘉島で沖縄「平和の火」採火式(1991年)▼那覇軍港の米軍貨物荷役を担う港運会社の従業員243人を業務量減少を理由に米軍が解雇した港運労争議は155人の再雇用で合意(1977年)

6月21日 
▼米軍キャンプ・シュワブの実弾演習場に隣接する名護市数久田の果樹園作業小屋で、重火器から発射された実弾が見つかった。人的被害はなかったが、作業小屋内のガラス2枚が破損(2018年)▼アジア太平洋戦争当時、日本軍が沖縄に連行した朝鮮人軍夫の氏名、本籍、生死の有無などを記した「船舶軍(沖縄)留守名簿」の写しを琉球新報社が入手。名簿には2815人の氏名があり、連行された朝鮮人の7割以上が戦時中に死亡または消息不明となった事実が判明(1995年)▼「カデナ基地を人間の輪で包囲する6・21大行動」開催。豪雨の中、基地の周囲17・4キロを2万5千人が包囲、世界初の基地の「完全封鎖」(1987年)▼那覇空港で迎撃訓練中の航空自衛隊のT33が離陸に失敗、炎上し、乗員1人死亡、1人重症(1984年)▼ハル民生長官が「立法院の主席公選要請決議は越権」と警告(1954年)

6月22日
▼米軍嘉手納基地内の危険物を取り扱う施設で火災が発生、塩素ガスの粒子が放出し、基地内で45人が煙または塩素ガスにさらされ軽傷負う(2020年)▼文科省の教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」への日本軍の強制などの記述が修正・削除された問題で、県議会は検定意見を撤回し、記述回復を求める意見書案を全会一致で可決(2007年)▼女性・子どもの視点から安保問題を問い直す国際女性サミットが那覇市で開幕(2000年)▼琉球政府主催の第1回沖縄戦戦没者追悼式が摩文仁で開催された(1964年)▼「黎明之塔」除幕(1952年)▼慰霊の日、初の法定休日(1962年)▼池田・ケネディー日米共同声明発表。沖縄の施政権問題に触れず

6月23日
▼太平洋戦争・沖縄戦終結50周年祈念事業で世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで犠牲になった24万人の名を刻銘した「平和の礎」の除幕式が糸満市の平和祈念公園で行なわれた(1995年)▼沖縄全戦没者追悼式に海部俊樹首相が歴代首相として初参列した(1990年)▼ひめゆり同窓会が糸満市のひめゆりの塔横に建設した「ひめゆり平和祈念資料館」が開館した(1989年)▼陸上自衛隊が駐屯地から糸満市摩文仁まで千人の隊員と80台の車両で「深夜の慰霊行軍」を実施(1976年)▼第32軍司令官牛島満中将、参謀長長勇中将が摩文仁の司令部壕で自決。これにより32軍は壊滅した(1945年)▼米兵、コザ市上地で「慰霊の日」の忌旗、日の丸を盗んで逃げる(1965年)▼ビートラー民政副長官、在琉朝鮮人の帰化を認可と発表(1953年)

6月24日
▼在日米海軍佐世保基地所属の掃海艦「ガーディアン」と「パトリオット」が与那国町祖納港に寄港。復帰後、米艦船の民間港寄港は初めて。外間守吉町長が「反対」を表明、県が使用自粛を日米に申し入れたが、米軍は日米地位協定を盾に入港を強行(2007年)▼来沖中の米太平洋艦隊付海兵隊のスタックポール司令官が読谷補助飛行場のパラシュート降下訓練について、伊江島への移設を検討していることを明らかに(1994年)▼林田悠紀夫法相が「沖縄では新聞が二つあって、演習についてやかましく言っているそうだ」と発言(1988年)▼名護市で酒気帯び運転のMP車両が民家に激突。抗議する住民をMPが短銃で脅す(1970年)▼ワトソン高等弁務官、立法院の裁判移送命令撤回要求を拒否(1966年)▼キャラウェイ高等弁務官、祝祭日に公共施設への日本国旗の掲揚を許可すると発表(1961年)▼

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