今回のメルマガは月野桃子さんからの寄稿です。今年4月の石川での陸自訓練場建設計画が断念に追い込まれたことは記憶に新しいと思います。なぜこの運動が生まれ、断念という結果に至ったのか、経緯も含め、月野さんが分析した点は今後の取り組みにも大きなヒントと勇気を与えるものです。石川での計画を国は断念したものの、他の場所での計画をあきらめていません。今後、さらなる監視と、軍事強化の計画に抗議の声をあげていく必要があります。ぜひ本稿をお読みください。
沖縄県うるま市の市民のたたかい
石川での陸自訓練場新設は「断念」させた!
勝連、地対艦ミサイル配備強行されても「たたかいはここから」
沖縄島の中部、珊瑚の海と世界遺産勝連城を擁する人口12万人のうるま市には、米軍基地と自衛隊基地が合わせて11か所あります。爆音・PFASの水汚染・性犯罪など基地に由来する住民被害が重なり合ってきた地域でもあり、1959年には石川地区(旧石川市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童11人を含む18人が犠牲となりました。
★陸自勝連分屯地ミサイル配備、1万筆の反対署名に説明会も開かず強行
うるま市にある陸上自衛隊勝連分屯地に、2024年3月10日「12式地対艦誘導弾」(以下「地対艦ミサイル」)が抗議の声のなか搬入され、同月21日には第7地対艦ミサイル連隊、連隊本部、本部管理中隊が新編されました。
さかのぼる2021年8月「勝連分屯地に地対艦ミサイル配備予定」の報道により、うるま市島ぐるみ会議と住民有志はただちに立ち上がり、活動が始まりました。「まずは実態を知らせよう!」と「『ミサイル要塞化の危機』写真展」開催を運動の柱にすえて、翌年11月には「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」(以下「市民の会」)を発足させ、ポスター、スタンディング、学習会、上映会、集会、ビラ配布、ミニブック普及、などに取り組みました。重視したのは「知らせることと対話」です。ほぼ毎月開催した写真展では宮森小ジェット機事件の写真も展示し、来場者と対話しました。2023年10月からの3か月は住民説明会とミサイル配備断念を求める署名に取り組みました。戸別訪問で対話をした人のおよそ8割が署名に応じました。2024年3月1日、1万筆以上の署名をうるま市の中村市長に手渡しましたが、市長は「国防に関することは国の専管事項」だと従来の主張をくり返し、結局、ただの一度も住民説明会は開かれぬまま、地対艦ミサイルが配備されてしまいました。
ミサイル配備を阻止することはできませんでしたが、私たちは「たたかいはここから、たたかいは今から」と、ひきつづき長射程化、つまり敵基地攻撃能力を持つミサイルの配備に反対する決意を固めています。
★保守・革新を越えた全県的な盛り上がりのなか「断念」
辺野古新基地の代執行訴訟が世間の耳目を集め、勝連分屯地への地対艦ミサイル配備の日が迫るなか、2023年12月20日、うるま市石川地区の旭区にあるゴルフ場跡地に陸自訓練場を新たに整備する計画が、突如として報道されました。旭区は閑静な住宅地で、社会教育施設「青少年の家」があるばかりでなく、前述のジェット機墜落事件があった宮森小学校の校区です。年明け早々の旭区自治会臨時総会の全会一致での反対決議を皮切りに、石川地区からうるま市全体の自治会へと訓練場反対の声が広がりました。
2月11日、防衛省による住民説明会でも住民の不満と計画撤回の声があがり、同月14日に「自衛隊訓練場設置計画の断念を求める会準備会」が結成されました。準備会が重視したのは「住宅地の隣に訓練場をつくらせない」の一致点でひとつになることです。「自衛隊も軍事強化も賛成」という住民も一緒になり、保守・革新の違いを超えて、訓練場新設NO!の声が燎原の火のごとく広がりました。のぼりや横幕を設置し、署名活動を開始した自治会、スタンディングする市民、声をあげる元石川市議会議員OB会。「沖縄タイムス」「琉球新報」は連日のようにこの問題を取り上げ、住民の投稿を掲載しました。市議会・県議会、自民党県連も訓練場反対の方向へ動き、玉城知事も木原防衛相に計画断念を要望しました。こうして沖縄が「断念」を求める声一色に染まるなか、3月1日に至り、ようやくうるま市の中村市長も訓練場の白紙撤回を防衛局に要望しました。(しかし同日、市民の会の署名を受け取ったときの発言(前述)は、まさに市長のダブルスタンダードと言えましょう。)
3月10 日、「自衛隊訓練場設置計画の断念を求める会」(以下「求める会」)が発足。同月20日の市民集会には1200人以上が集まり「訓練場反対」の声を響かせました。求める会の代表団は同月26日上京して防衛省政務官と面談し、国会では沖縄県選出野党議員が追及を強めました。その後、訓練場用地の地権者が土地を売却しない意向であることが報じられ、誰の目にも訓練場建設は不可能なことが明白となり、ついに4月11日、木原防衛相はうるま市石川での訓練場計画断念を表明しました。その会見の際、防衛省は「うるま市長と自民党沖縄県連の要望を受けた結果の判断」とした文書を公表しましたが、後日の衆院安保委員会で県選出の赤嶺議員に「訓練場を断念させたのは住民の声だ。6月に県議選を控える今、特定の党派を公表文書に特記するのは大臣の立場の政治利用。削除すべき」と批判されたことが報道されました。沖縄の陸自第15旅団を師団に格上げする方針のもと、防衛省は別の場所での訓練場新設をあきらめてはいないので、今後も注視しつづけることが必要です。
旭区の住民の「生活・教育・自然環境を守りたい」という切実な思いからすばやく自治会ぐるみで声をあげ、一気に全県的な運動へ広げて、訓練場計画の断念を勝ち取ったことは画期的です。求める会は今後、運動の経緯と成果をまとめた報告集を作成するそうです。
★うるま市石川のたたかい、勝利の背景
石川の勝利の背景に何があるのか。以下にいくつかの私見を述べます。
◆旭区は宮森小学校ジェット機墜落事件があった地で、住民の声の根底に事件の記憶と怒りがあった。
◆うるま市には1960~70年代の昆布土地闘争や反CTS金武湾闘争など、住民運動の経験と蓄積があった。
◆辺野古新基地反対運動を担ううるま市島ぐるみ会議のメンバーは、座り込みなどの抗議行動を継続し、他の地域の仲間からのあたたかい協力を得つつ、「市民の会」と「求める会」にも参画し、連携・協力しながら辺野古、勝連、石川のたたかいを同時並行で展開したことで、相乗効果があった。
◆石川地区に基地はなく、既に基地がある地域(名護市辺野古やうるま市勝連など)に見られる交付金を背景にした地域の分断やしめつけから比較的自由だったため、自治会ぐるみの運動が可能だったのではないか。
◆求める会が「住宅地の隣への訓練場新設反対」の一致点でまとまり、自衛隊や防衛政策の是非を問わなかったので、住民が保守・革新を超えて声をあげることができた。
◆うるま市から全県に広がった訓練場反対のうねりの前に、6月の県議会選挙と2年後のうるま市長選挙を見すえ、自民党県連と市長も「白紙撤回の要望」をせざるを得なくなった。
◆「二度と戦争のためにペンを握らない」を社是に掲げる沖縄2紙と、一部のネットニュースなどの発信力による世論の形成。
◆ミサイル配備反対運動で対話を重視し、軍事強化の危機感を共有する地道な取り組みが、石川訓練場反対の爆発的な運動の広がりを生む土壌を準備したのではないか。
◆沖縄戦の3つの教訓、つまり「軍隊は住民を守らない」「基地のあるところが戦場になる」「命どぅ宝」が、沖縄社会に地下水脈のように、平和の願いとして息づいているのではないか。
以上のことを私は考えました。うるま市に住む89歳の桃原蓉子さんは、沖縄を含む琉球弧のミサイル要塞化について「沖縄戦を体験した者として黙っていられない。許すわけにはいかない」「あきらめずにたたかい続けることが大切だ」と話してくれました。
うるまのたたかいからどんな教訓を引き出しうるか、沖縄戦3つの教訓を全国の皆さんと共有し深めつつ、考え合いたいと思います。沖縄を二度と戦場にさせないために。
月野桃子(ミサイル配備から命を守るうるま市民の会会員)
※今回のメルマガは月野さんのご承諾を得て、『ピスカートル』第71号(今、憲法を考える会)より転載したものです。