今回のメルマガも新聞に寄せられた声です。戦争を許さない思い、軍事強化への不安と怒り、平和への強い思いがひしひしと伝わってきます。ぜひお読みください。
沖縄の声 6月11日~13日
6月11日 沖縄タイムス 宜野湾市 74歳 女性
「軍備増強で対抗 破滅への道」
人間は必ず死ぬが、国は死なない。そうだろうか。
琉球王国は死んだ。大和に合併、併合、滅亡させられた。それでも琉球王国民は自らの誇りを失うことなく、伝統を守り、祖先の遺志を後世に残した。言葉は死にかけているという人もいるが、琉球舞踊や琉球音楽と一緒に、後の世に必ず残ると思っている。
日本が占領されるかもしれない、日本が滅亡するかもしれないから、軍備を充実させて対抗しようとしている人たちは、日本を殺しかけているのではなかろうか。日本が死ぬ手伝いをしているのではなかろうか。
第2次世界大戦で日本が負けても、生き残った人たちが日本を建て直した。あの時、日本の国は一度死んだのではないか。古い考えを押し通そうとする人たちの死と、一緒に死んだのではなかったのか。もう一度同じことをしようというのは、また日本をしなせるということなのか。
6月11日 沖縄タイムス 南風原町 72歳 男性
「世界の戦争 誰が何のために」
(略)戦争を引き起こし、殺し合わなくても地球環境の悪化が進めば、嫌でも人間が生きられる場所は限られてくるのではないかと思う。戦争の武器を造る金と知恵があれば、地球温暖化を食い止め、人類を救うことを考えてほしいものだ。
今にも沈みゆかんとする地球というたった一つの乗り物の上で、私利私欲のために愚かな殺し合いをしているように思えてならない。地球上の各地で起きている戦争は、いったい誰が何のためにやっているのか。理解に苦しむことである。
話し合いで解決するのが言葉を持った人間のやるべきことではないだろうか。
6月11日 琉球新報 那覇市 86歳 男性
「ゆうな咲く島 沈めるのか」
(略)6月の第三日曜日は「父の日」。23日は沖縄慰霊の日。シャラシャラと青いサトウキビの葉擦れ音。摩文仁に立ち上がる香煙、正午の黙とうに静寂がさらに廖々と沈潜していく。
戦後80年になんなんとする今、なお県民は忌服にいる。それなのに政府は、台湾有事を大義に沖縄防衛と振りまき、素晴らしい文化の宝庫の島々に軍靴をとどろかせている。
そのような傍若無人な振る舞いを戒めたく「防衛や ゆうな咲く島 沈めるか」と詠んだ。この句を高く掲げ、「穏やかな暮らし、平和な島を」と訴え続けたい。
6月11日 琉球新報 新報川柳
天賞 戦闘機飛び交う島に住まわされ 読谷村 男性
佳作 声をあげボードを上げて基地の阻止 那覇 男性
6月12日 琉球新報 論壇 那覇市 80歳 男性
「最後の手段は独立しかない」
(略)沖縄は台湾や東南アジア、中国に近いというが、ミサイルの時代に、そのようなことが沖縄に基地を置く理由になると信じる人は誰一人としていない。
このような沖縄差別を止めるには、沖縄は独立を目指すしかない道はない。そして沖縄は軍隊や基地のない平和な楽園として世界に誇る国を目指したい。
しかし、私たちの本心は独立をの望んでいるわけではない。沖縄差別を解消し、本土並みになることを願ってきたが、日本政府に裏切られ、差別と屈辱の辛苦をなめさせられ、我慢も限界に達しているのである。差別が解消されなければ独立しかないというのが県民の思いである。
「自衛隊や米軍は沖縄を守る」と言うが、軍隊は決して住民を守らないし、軍隊は住民を守らないばかりか、殺害した事実が沖縄戦であった。軍隊は信用できない。いざ戦争になると軍人は自分のことしか考えない。これまで県知事や、多くの県民が座り込みやハンガーストライキなどの抗議を繰り返してきたが、日本政府は県民の願いを無視してきた。総理大臣や防衛大臣、米軍に通知したい。沖縄を再び戦場にしないために、また沖縄差別を解消するために沖縄が訴える最後の手段は沖縄独立しかない。(略)
6月12日 琉球新報 ティータイム 那覇市 71歳 女性
「母の夢、子から孫、ひ孫へ」
「学校の先生になりたかったけど空襲で校舎は焼け、戦で勉強もできずかなえられなかった」。私が物心ついた頃から母はよく言っていた。
1944年の那覇大空襲で学校が全焼し、翌年戦争が激しくなり、家族で南部へ非難する途中で両親と弟を亡くした。命は助かったが、2歳下の弟と2人で生きるのが精いっぱいで勉強どころではなかったという。(略)
私は大学卒業後、小学校の教師になった。「あんたが私の夢をかなえてくれてうれしいさー」と喜んでくれた。(略)孫の1人が小学校の教師に。ひ孫の1人(高3)が「高校の教師を目指しているよ」と言ったものだから「本当ねー。もっと長生きしないとね」と満面の笑みを浮かべていた。
母が通っていた二高女跡を先日訪ねた。「戦争のせいでみんなの夢は絶たれたんだよ」。「白梅の乙女たち」の像の前で涙ながらに祈る母の横顔が忘れられない。その時、教師になりたかった母の夢を子(私)や孫、ひ孫が受け継いでかなえることができて本当に良かったと思えた。(略)
6月12日 沖縄タイムス 京都市 71歳 男性
「自衛隊は歴史認識を改めて」
6日付本紙に自衛隊の歴史認識として、ぜひ改めてほしい記事が二つ出ている。
一つは福岡県久留米市の陸上自衛隊幹部学校の教育方針に「沖縄戦は善戦」と書かれているという記事。もう一つは陸自15旅団のHPに旧日本陸軍第32軍牛島満司令官の辞世の句がずっと掲載されたままになっているという記事だ。
あらためて、自衛隊に確認したい。自衛隊は戦後、戦争やそのための武力行使を放棄した日本国憲法の下につくられた防衛部隊だ。戦後、日本軍は解体されたのだ。自衛隊との連続性は全くない。それが幹部候補生学校では、旧日本軍の戦争を教育方針に掲げ、戦争放棄の部隊が戦争を善戦と評価する。戦後の視点が入るなら、戦争や住民被害への反省があって当然だ。
また牛島司令官の辞世の句も、沖縄県民を守る立場ではなく、「皇国」防衛への決意の句だ。現在の日本は「皇国」ではない。憲法の立場に立たない限り、自衛隊の存在は認められない。
6月12日 沖縄タイムス 那覇市 73歳 男性
「糸満歩き戦争の悲惨さ実感」
慰霊の日を前に、当時幼い兄を連れた私の母たちと叔父家族が逃げ惑ったであろう糸満市を歩いた。
兄が亡くなった場所は不明だが、叔父は喜屋武、いとこたちは国吉と聞いていた。
妻の運転で喜屋武岬に向かったが道に迷い、地元の人に車で先導してもらった。案内していただいたTさんに感謝申し上げます。
きれいな海だが、断崖絶壁を見下ろすと、当時の悲惨さが目に浮かぶ。妻を見送り、一人でスマホを頼りに魂魄の塔に行く。そこで多くの亡きがらを埋葬してくれた地元住民に感謝しながら合掌した。
休憩後、ひめゆりの塔へ。そこでも参拝してから糸洲の壕付近を通り、国吉の集落へ。周辺は起伏に富み、避難民が隠れながらの移動には適した地形だ。
歩きはさほど難渋しなかったが、当時は暗闇の中、スマホもないし、こんなに簡単に移動できなかったと思う。
23日の戦没者追悼式には参列するつもりである。
6月13日 沖縄タイムス 那覇市 79歳 男性
「沖縄戦の悲惨な実態知って」
今年4月。文部科学省の教科書検定で追加合格となった令和書籍の歴史教科書の「皇国史観」が問題となった。今度は陸上自衛隊第15旅団が、旧日本軍第32軍牛島満司令官の「皇軍史観」漂う辞世の句を公式オームページに掲載したことが物議を醸している。
問題の核心は、住民の壕からの追い出しなどに見る日本軍の加害性や、4人に1人の犠牲者を出した住民の苦悩が辞世の句から読み取れない点にある。
今月4日、驚いたことに木原稔防衛相は、辞世の句の削除に応じないと答えた。辞世の句が歴史的事実を示す資料とはいえ、自衛隊はかつのて日本軍とは異なり文民統制の下にあることを忘れてはいけない。自衛隊が軍となったら、310万人もの犠牲者を背景に成立した「日本国憲法」第9条に違反することになる。
即刻、辞世の句の削除を望むと同時に、文部科学省、防衛省、陸上自衛隊のトップには、沖縄の国土戦の悲惨な実態を知ってもらいたい。
6月13日 沖縄タイムス 本部町 76歳 男性
「民意のうねり 沖縄が先頭に」
世界のあちこちで「民意」の声が高らかに響いている。日本では大阪都構想の住民投票が行なわれて否決された。(略)日本のあちこちから「沖縄の民意はどうなったのか」という声が聞こえてくる。知事選などの選挙や住民投票で、何度も辺野古新基地建設反対と民意を表しては、踏みにじられてきた沖縄。県内では、自分たちの所は大阪のようにはいかないんだと失望する人もいるかもしれないが、それは違う。
むしろ世界でこうして人々の小さな声が大きなうねりになっている今こそ「沖縄だけ置いてけぼりはひどいじゃないか」「沖縄こそ先に民意を示していたんじゃないか」という超えに耳を傾ける人も増えているはずなのだ。
この何年か世界で、そして日本で、強い者、富める者がますます力をつける。弱い者の声は無視するという政治が行なわれ。社会の格差はますます広がり分断が深まった。
しかし今、人々が「そんなのおかしい」と気付き、それが結果につながりつつある。その流れに沖縄も乗ろう。沖縄こそが先頭に立つべきである。
6月13日 沖縄タイムス 浦添市 八重山戦争マラリア遺族会名誉会長
「戦争マラリア犠牲者を慰霊」
波照間島では、太平洋戦争末期の1945年4月、軍命で、1590人がマラリア有病地の西表島南風見田地区を中心に強制疎開させられ、人口が99・8%がマラリアに罹患し477人が死亡した。帰島後もマラリア地獄が続いた。84年には66人の学童の霊を慰めるため、関係者により島に学童慰霊碑が建立された。
最近、同碑のそばに「波照間戦争マラリア犠牲者戦没者慰霊之碑」、さらに「ソテツ感謝之碑」「戦争家畜殺傷之碑」も建立されている。
来る23日の「慰霊の日」に、石垣市バンナ公園内の戦争マラリア犠牲者慰霊之碑で、犠牲者の追悼式が執り行われる。追悼式では遺族会による戦争マラリア「鎮魂歌」が合唱される。今年の慰霊祭から波照間学童犠牲者を慰霊する「星になったこどもたち」の歌が、児童たちによって合唱される。(略)
碑が世界の恒久平和をますます発信されるよう願っています。
6月13日 北海道東神楽町 59歳 女性
「感じる根深い沖縄差別」
毎日、沖縄の新聞を読みながら出るのはため息。米軍による事件・事故に騒音を中心とした環境問題、加えて自衛隊の新たな駐屯地建設・訓練場計画に伴うトラブルと嫌なニュースに事欠かない。
なぜ、基地問題がこれほど沖縄に集中しているのか。原因は分かり切っている。本土側の人間が沖縄に過度な基地負担を強いているからだ。本紙の世論調査によれば、国民の過半数が自らの地域に沖縄の米軍基地はいらないと回答している。何て身勝手な話だ。
平和はほしいが、伴うリスクは沖縄に負わせればいいと言っているようなもの。沖縄への根深い差別が感じられる。
政府もこうした国民の意識を反映してか、基地問題に関しては沖縄に塩対応だし、当事者米軍も空気を読んでいるのだろう。何をやっても悪びれなくなった。こんなことが許されてはならない。