メルマガ262号

メルマガでは、これから毎週1回「沖縄きょうの歴史」と題して、沖縄戦前から現代にいたるまでの軍事、基地問題に関連して、何があった日かをトピックでご案内します。ぜひお読みください。

沖縄きょうの歴史(5月30日~6月10日)

5月30日
▼本島中部にある米軍払い下げ品取扱業者の物置き場に「劣化ウラニウム」と書かれた米軍25ミリ期間砲弾の薬きょう数百発が放置されていることが分かった(2000年)▼喜屋武岬の南東約17キロ海上で、夜間上陸演習中の米海兵隊普天間基地所属CH46ヘリが墜落。8人救助、14人行方不明(1989年)▼具志川市で女子高校生が米兵にナイフで刺され重傷負う。米陸軍通信部隊に逃げ込んだ米兵の引き渡しを求め、区民が同部隊を包囲(1970年)

5月31日
▼在沖米軍トップのウェーバー4軍調整官が、2014年から16年にかけ普天間飛行場にMV22オスプレイが配備されることを明らかに(2006年)▼日弁連定期総会、那覇市で開催。「沖縄の基地被害の根絶と基地の整理縮小に関する決議」を採択(1986年)

6月1日
▼琉球新報と沖縄テレビが合同で、米軍普天間飛行場移設問題の県内電話世論調査を実施。名護市辺野古への移設阻止を掲げる翁長知事の姿勢を77・2%が支持、県内への移設反対は83・0%だった(2015年)▼県内の無国籍児の保護者らで組織する団体が、宜野湾市内に自主運営によるアメラジアンスクールを開設(1998年)

6月2日 
▼陸上自衛隊が宮古島城辺保良の陸自保良訓練場にミサイルなどの弾薬を搬入(2021年)▼4月に北谷町で発生した米海軍兵による女性殺害事件を受け、市民団体や地域の有志による「金k入追悼・抗議集会」が同町で行われ、繰り返される米兵らによる事件・事故への抗議と再発防止を訴えた(2019年)▼那覇地検がスピード違反と無免許、酒気帯びなどで検挙された米兵2人を那覇簡易裁判所へ起訴。施政権返還後、地位協定に基づく初の米軍人軍属に対する裁判権行使(1972年)▼具志川市で発生した米兵による女子高校生刺傷事件を受け、県高教組が抗議集会を米民政府前で開催。高校生を含む800人が参加(1970年)▼第2回国連軍縮総会に県内から17団体27人が38万6690人の反核署名を携えて出発(1982年)

6月3日
▼嘉手納町が国の防音工事費の補助対象に含まれない町内の認可外保育園全5カ所を対象に航空機騒音などの実態を調査。5園全てで園児の睡眠障害など米軍基地からの激しい爆音、騒音被害の実態が明らかに(2013年)▼教公二法阻止教職員総決起大会が那覇市内で開かれ、約6700人が参加(1966年)

6月4日
▼米軍のCV22オスプレイ4機が周辺自治体に事前連絡なく嘉手納基地に初飛来(2018年)▼基地を抱える13都道府県を訪問し、日米地位協定見直し決議の採択を求める県の「全国要請行動」が北海道でスタート(2003年)▼嘉手納基地で米海兵隊第31遠征部隊所属の垂直離着陸型AV8Bハリアー戦闘攻撃機が離陸に失敗、滑走路に墜落し炎上。パイロット1人が軽傷(1999年)▼来県中の石橋社会党書記長、「在沖米軍は核・化学兵器を所持」と同党県本の調査結果発表(1976年)▼戦況が悪化し、第一野戦病院に看護要員として動員された白梅学徒隊に解散命令(1945年)▼那覇市が伽rウェー高等弁務官に名誉市民称号を贈る(1964年)▼全軍労が組合規約中のストライキ権条項削除を決定(米政府布令116号「軍労働法」違反の警告を受け削除)▼週刊少年ジャンプの同日号で原爆がテーマの漫画「はだしのゲン」の連載開始

6月5日
▼米軍嘉手納基地内の川などから、発がん性などが指摘される有機フッ素化合物が高濃度で検出されていたことが分かった。泡消火剤などに使われるPFOSとPFOAの化合物で、国の暫定目標値の最大数百倍(2020年)▼浦添市浦西中学校のテニスコートへの落下物について、米海兵隊が普天間飛行場所属CH53ヘリから「ブレードテープ」が落下したと認める(2019年)▼全軍労、解雇反対で24時間スト突入。安里積千代立法院議員ら米兵の銃剣で負傷(1969年)▼アイゼンハワー米大統領、沖縄に軍事高等弁務官を配置する行政命令発表(1957年)

6月6日
▼沖縄防衛局は、米海兵隊がMV22オスプレイを2012年から普天間飛行場に配備すると、県や宜野湾市、名護市、金武町など関係自治体に正式伝達(2011年)▼金武町のキャンプ・ハンセン内で、M60機関銃が暴発し、海兵隊員2人が死亡。訓練を終え、同機関銃を武器庫に返却する際に発生(1988年)▼琉大理事会、復帰協の渡航拒否抗議デモなどに無届け参加したとして琉大生の処分決定。無期停学3人、戒告17人(1961年)▼太平洋戦争末期、海軍沖縄方面根拠地隊の大田実司令官が「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別の御高配を」とする決別電文を海軍次官に送信。1週間後、大田司令官は自決し部隊は玉砕(1945年)▼那覇空港で訓練中の陸上自衛隊の大型輸送ヘリが離陸に失敗して炎上、全焼。パイロットら3人が重軽傷(1983年)

6月7日
▼米空母ミッドウェーを含む艦艇約20隻、航空機約250機、兵員約3万人を投入した米第7艦隊と海兵隊の合同演習「バリアント・ブリッツ83」が中北部で始まり、自衛隊117人も参加(1983年)▼日本陸軍第6師団長・谷寿夫中将来沖。「沖縄は国防上の生命線」と強調した(1936年)

6月8日
▼キャンプ・ハンセン演習場内で米軍ヘリ発着現場を取材中の報道陣5人を含む8人を、米憲兵が身柄拘束(1987年)▼米上院軍事分科小委が軍用地料一括払い方式決定。米国、沖縄の永代借地権設定方針を固める(1956年)

6月9日
▼自衛隊の創設を定めた自衛隊法と防衛庁設置法の防衛2法が公布された。7月1日に施行。保安隊を陸上自衛隊、警備隊を海上自衛隊に改組し、航空自衛隊を新設して陸海空の3隊がそろった。統括官庁として防衛庁も発足(1954年)▼音楽家坂本龍一氏、琉球新報のインタビューで「辺野古の基地は常識的に考えると完成しない。仮に完成しても使い物にならないのでは。普通に考えたら機能しない。やっています、というただのアリバイでしょう。貴重な国民の税金を無駄につぎ込むのか」と疑問を投げかける(2020年)▼宮森小ジェット機墜落事故の米側資料を石川市歴史民俗資料館の学芸員が米国立公文書館で初めて確認した(1999年)▼外務省が極秘扱いの戦後外交文書を公表。GHQは当時、沖縄住民を日本に抑圧された少数民族として、非日本人と表現していた(1976年)▼沖縄返還協定を巡る日米交渉は、愛知外相とロジャース米国務長官の会談で「核抜き」を明記することなどで最終合意した(1971年)▼米下院軍事委が米国防省に対し、沖縄に商業用原子力発電所を設置するよう勧告(1956年)▼沖縄本島の北東約200キロの海上に、嘉手納基地所属のF15戦闘機1機が墜落(1986年)▼立法院、米軍使用土地強制接収反対を決議(1966年)

6月10日
▼名護市辺野古の新基地建設反対などを政府に求める抗議行動が国会議事堂周辺で行なわれ、1万8千人が国会取り囲む(2017年)▼翁長雄志那覇市長、クラスター爆弾について「航空自衛隊那覇基地に確認したところ沖縄への配備は事実」と市議会で答弁(2003年)▼キャンプ・ハンセン演習場付近で訓練中の海兵隊が催涙ガスを使用、民間地域で作業中の農民らが目やのどに激痛(1987年)▼航空自衛隊那覇基地のF104J戦闘機が着陸に失敗し炎上、パイロット1人死亡(1980年)▼立法院で自治権拡大、行政主席公選要請決議(1964年)▼米軍司令官バックナー中将、第32軍牛島司令官に降伏を勧告(1945年)

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