メルマガ259号

沖縄は6月23日、「慰霊の日」を迎えます。
 慰霊の日へむけて、地元紙の琉球新報、沖縄タイムスには戦没者への追悼の思いや、反戦平和の願いを込めた数多くの読者投稿が寄せられます。昨年に続いて、今年も随時紹介していきます。ぜひお読みください。

慰霊の日を前に~県民の声から

琉球新報 5月29日「声」

「水クダサイ」 豊見城市 85歳 女性
 79年前の戦で忘れられない光景がある。東風平村にあった母の実家は日本軍の球部隊が使用していた。女子師範に通う若い兵士がメモ書きをくれた。「南部は激戦地になる。北部に避難して」と。家を守りたい祖母を残し、私ら8人、北部の久志村に避難した。
 昼は防空壕、夜は避難小屋で過ごしたが、次第に昼夜なく防空壕に隠れた。山火事になり、川の中を逃げると空からB29の機銃掃射があり、30人ほどの中から犠牲者が出たかどうかは分からない。
 「センソウハオワリマシタ」のビラを拾い、壕を出ることにした。米軍の戦車が前後左右から案内し、確か石川の入り口で銃を構えた米兵がズラッと並び、道に血だらけの老婦人が倒れていた。
 「水クダサイ」。きれいな標準語が聞こえた。私は首にかけていた自分の水筒を母に見せた。母は首を横に振った。「水クダサイ」。もう一度聞こえた。今度も母は首を横に。立ち止まっていた私たちに銃が向けられていた。
 幼い私の脳裏に刻まれた老婦人の「水クダサイ」という血まみれの姿が今も時折、目に浮かぶ。「反戦」の原点である。

沖縄タイムス 沖縄市、84歳、男性 5月30日
「全人類で愛と平和を築こう」
 5・15平和行進に2190人が参加して「基地のない沖縄訴え」(19日付1面)と汗を流し行動している。
 私は同じ人間が戦争をして殺し合ったり、愛のない憎み合い、ねたみ合い、だまし合い、復讐し合ったりしている現実社会、人間関係のありように深い悲しみを抱く。
 特に沖縄の現実はどうでしょうか。戦場のように日夜、爆撃機がうごめいている。軍隊が、人殺しの武器を取り、人殺しの訓練に明け暮れている。何という嘆かわしいことだろうか。
 自分自身と同じように一人一人の命は尊いものなのです。どうして軍隊にはそんなことが分からないのかと思う。
 危険な武器も人殺し訓練所も捨てて、全ての人が平和で生きがいの持てる人生が送れるように、人は真の人類愛に生きるべきなのだ。なのに国も人もやることなすことは悪へと進む。世界人類に愛と平和を求む。

琉球新報 豊見城市 中学1年 女子 5月30日
「戦争がのこしたもの」
 みなさんは、5月15日が沖縄にとってとても重要な日ということをご存じですか? 沖縄が日本に復帰した日のことです。
 当時の沖縄は太平洋戦争が終わっても、豊かな生活がもどってくるわけではありませんでした。沖縄はアメリカの支配下に置かれ、法律やお金がアメリカ仕様になりました。
 また、今でも全てが元通りになったわけではありません。いまだにアメリカの基地があります。このように戦争がのこしたものは簡単になくなりません。
 私が授業で学んだことは、未来の平和を私たちがつくっていかないといけないということです。そのためには、私たちが相手のことを思いやって話し合いや、一人一人の考えを大切にすることが必要だと思いました。
 自分のできることから始めて、沖縄だけでなく、世界の平和をつくっていきたいです。

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