今日は憲法記念日です。集団的自衛権容認、現在のミサイル要塞化など、日本国憲法が謳った平和主義の空洞化に歯止めがかかりません。現実にあわせるべき、改正が必要だといった改憲の議論が広がり、そもそもの理念が何なのかを全く無視するかのような状況です。今回のメルマガでは「憲法9条があるのに射撃訓練をするのはなぜか」という、うるま市石川陸自訓練場建設計画説明会での高校生の発言を受けて、仲松典子さんが「憲法に立ち戻る」というテーマで寄稿していただきました。ぜひお読みください。
「憲法に立ち戻る」
「憲法9条があるのに射撃訓練をするのはなぜか」。防衛省が開いたうるま市石川の陸自訓練場新設説明会での1高校生の発言は実にストレートだった。
そう、戦争を放棄した憲法9条があるのに安保法制とは何ごとだ?日米共同訓練とは何ごとだ?ミサイル基地とは何ごとだ?殺傷武器開発輸出とは何ごとだ?辺野古基地建設とて何ごとだ?すべて憲法違反だから政府は憲法を変えようとするわけで、そもそも憲法を変えて軍備をしたくて結党した面々が政権を動かしてきたのだから、ある意味既定路線とも言えよう。その路線にまんまと乗せられたのは国民。今やその面々は人品を疑うような裏金問題でレイムダック状態なのに、トップは政府専用機で米国に国賓待遇で出かけ、これまた足下の危うい相手とにこやかに国と国民を危うくする「相談事」をしてくる鉄面皮。
私達は憲法前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないようにすることを決意」して、この憲法を制定した。にもかかわらず「台湾有事」のドタバタ劇まで招来してしまって、今まさに「政府の行為によって戦争の惨禍」がおきようとしているときではないか。戦争に向かう政府の行為を、私達国民は今こそ全力で止めなければならないのではないか。
多くの国民は「裏金諸士面々」の国際情勢やら抑止力云々といった論法に乗せられて思考停止しているのではないか?憲法に立ち返ってみよう。単純なことだ、憲法は戦争をしないと言っているのだ。なぜ?その答えも冒頭の高校生は言った。国家権力が過去の失敗を繰り返さないために、と。
いろんな正義はあるけれど命より大切な正義はない、ともその高校生は言った。ガザもウクライナも「正義」のぶつかり合いなのかもしれないが、子どもが、母親が無残に殺されていく、そのどこが「正義」なのだ?得をするのは誰?朝鮮戦争を経て、アイゼンハワーは米国が軍産複合体になることに警鐘を鳴らした。
今こそ「日本国憲法」に立ち返ろう。米軍駐留を違憲とした伊達判決を捻じ伏せた米国との裏交渉による最高裁判決は、以後、憲法判断が問われる重大な局面において司法を退かせた。しかし「安保条約」ですら「憲法上の手続きに従」うことを謳っている。憲法の視点ですべて検証してみたい。憲法は言う。憲法は最高法規である、すべての公務員は憲法擁護義務を負うのだと。
憲法は権力者のものではない。主権者たる国民のものだ。高校生のみずみずしい憲法感覚が疑問に思うような国策は違憲に決まっている。
仲松典子(当会運営委員)