3月10日、勝連分屯地へのミサイル装備車輛搬入阻止行動に当会から具志堅隆松代表をはじめ7人のメンバーが参加しました。当日の写真なども交えながら、今回の行動について報告します。ぜひお読みください。
3.10 勝連分屯地ミサイル車輛搬入阻止行動
朝7時、中城湾港での抗議行動に参加する人たちが少しずつ集まる中、東ふ頭バースに民間のフェリーなぎさが接岸した。19台の車両が次々と搬出され、東ふ頭第12ゲートから出ようとして、車列をならべていく。ミサイル戦争への連なる車列に見え、戦慄を覚えた。車列の先頭車輛から「自衛隊の通行の妨げになります。速やかに通路を開放してください」という、そこのけそこのけミサイルが通るといわんばかりの自衛隊員の無機質なアナウンスが繰り返される。なんの感情もない平板な通告に対して、「開放しない!」「開けない!」で照屋寛之うるま市民の会代表がくりかえし応酬、具志堅さんは「ミサイル搬入は戦争に道を開く。平和を守るため道を開けない」「ミサイルを持って帰ってください、このことが日本国民を守ることになるんです」と強く抗議した。各人からの抗議のコメントが続く中、一人ひとりが自らの抗議を意志を示すプラカード、各団体ののぼり、横幕がびっしりとゲートと覆い、絶対にここを通さないという、意志が一つになっていく。「ミサイル配備反対」「沖縄を戦場にするな」「自衛隊帰れ!!」というミサイル搬入をゆるさないという私たちの声がどんどん大きくなっていく中、自衛隊車輛は方向を変え、南ゲートから公道に出ていった。
中城湾港から勝連分屯地に移動するが、分屯地に入る道の前では、民間警備員、自衛隊が私たちを入れないように、バリケードが組まれていた。ゲートの前まで行くことはできなかったが、バリケードの前で再び座り込む。中城湾港から移動してきた自衛隊車輛は手前の横断歩道で牛歩のメンバーで止められ、県道には車輛の列がならぶ中、機動隊のバス4台がけたたましいサイレンを鳴らしながら到着、屈強な機動隊員が座り込みのメンバーの強制排除をはじめた。大型車両が通れるだけの幅を確保するために機動隊員は、日ごろの訓練を実践しようとするかのように、腕を組み座りこんでいるメンバーの中に靴で踏みつけながら割って入り、分断していく。人間の盾をつくる機動隊員一人ひとりの顔をみていくが、サングラスをかけ、表情はつかめない。「この行動はあなた方の命も守ることになる」「沖縄戦をもっと学んでくれ」など、口撃ではない訴えをすると、一瞬表情がかわり、じっとこちらを見つめる機動隊員がいた。錯覚かもしれないが声は聞こえたのかもしれない。どう受け取ったかは知るすべもないが、なぜここに座り込んでいるのかを一人の人間として考えてほしいと心から願った。一方で、別のところでは隊員が膝で激しい圧力をかけその腕組みを断ち切り、両手両足を持って次々と排除していった。機動隊の脚の隙間からすべての車両が入っていくのが視界に入り、首をぐっと上げて見ると、巨大な車輛の迷彩模様に太陽が鈍く反射していた。約30分後、すべての車両が分屯地に入っていった。
阻止行動の翌日午後、空自のC2輸送機が12式地対艦ミサイル関連機材を那覇空港に輸送した。この機材は公道を使って、勝連分屯地に移動させる計画だという。3月20日には地対艦ミサイル連隊本部が発足、ミサイル中隊の一つが分屯地に配備される。
今から80年前のほぼ同時期、「沖縄を守る」との名目で、第32軍が沖縄に創設された。沖縄住民の多くは自分たちを守ってくれるものと日本軍を受け入れ、協力し沖縄が軍事要塞化していった。しかし、作戦優先、基地を守ることを最大の目的とする日本軍は沖縄戦で住民を守ることはなかった。ミサイルを配備することで抑止力が効き、安心して暮らせる、軍備を強くすることが平和になる、そんな幻想を壊すには、沖縄戦を学び直すしかないだろう。中国、北朝鮮の脅威を口実にしてのミサイル配備が平和をつくることではなく、緊張を招き、戦争を呼び込んでいくことでしかないことを、あらゆる機会を通じて、会でもっと広げていかなくてはいけない。第二の沖縄戦をくりかえさせないために。
瀬戸隆博(当会事務局)
すばらしい牛歩!