メルマガ31号

今回のメルマガは、自らの報道経験を振り返り、沖縄がどうして戦場になる危機を迎えているのか、今の状況を鋭く衝いた、当会発起人である三上智恵さんの渾身の原稿です。戦争の影ではなく、その実体が眼前に迫る中、島々を戦場にしない、戦争の芽を摘み、その根を断つために、多くの方々に共有していただきたい必読の内容です。ぜひご覧ください。
 三上さんが文中でふれた『「戦争を止める力」とはどんなものなのか?』、『なぜ今、また「戦前」に回帰してしまったのか。どこで道を間違ったのか?』という問いを解くために、来る6月19日(日)に開催する講演会「軍靴高鳴る中で沖縄戦の教訓を考える」に多くの方が参加してほしいとおもいます。

次の戦争を止める力を身に着けるために-
6月19日の「軍靴高鳴る中で沖縄戦の教訓を考える」に多くの参加を呼びかけます

賛同人・呼びかけ人の皆様へ

こんにちは!ノーモア発起人の三上智恵です。

 慰霊の日が近づくこの時期は毎年心がざわつきます。今年はなおさら、摩文仁で死者たちに手を合わせる時に、彼らに平和な世の実現をさらに願ったりするのではなしに、迫ってくる次の戦争を自分たちの手で遠くに追いやるために、必ず頑張りますという決意を伝え、安心して見守っていてくださいと言えるようにしたいですね!
そのためにも私たちは「次の戦争を止める力」を身に着けて行かなくてはなりません。

今週日曜日と来週日曜日、二回連続で大変重要な勉強会を開催いたします。その意義について昨日の沖縄タイムス文化欄にも書かせてもらったので、その文章を最後に添付いたしますので、ぜひ読んでください。

私たち一人ひとり、全員がすぐにでも獲得しなければならない「戦争を止める力」とはどんなものなのか?

私たちはいま再び沖縄が戦場になる危機を迎えてしまっているわけですが、なぜ今、また「戦前」に回帰してしまったのか。どこで道を間違ったのか?例えば私は那覇でテレビ報道に19年も携わってきて、着実に平和に向かって歩む方向を示す大事な仕事をしていたはずなのに、道の先に戦争が立っているところまで来て、愕然としているわけです。

私たちメディアの、何が間違っていて何が足りなかったのか?沖縄県民を苦難の歴史から救うどころか危うい道に案内していたとしたら、報道の役割ってなんだったのか?と居ても立っても居られない気持ちで、私は不慣れなのに「ノーモア沖縄戦の会」という団体の立ち上げと運営に関わっています。

今週日曜日の講演会「軍靴高鳴る中で沖縄戦の教訓を考える」では、ウクライナの戦争を通じて32軍の本質を学びなおす、テッパンの石原昌家先生の基調講演だけでなく、女性史家の宮城晴美さんが切り取る沖縄戦は、「島の男性を怒らせるかもしれない覚悟」で語られる、かつてないものになりそうです。そして戦前も戦後も騙され続ける沖縄に立って、騙そうと言葉を弄する政治に抗うために、沖縄の人々が獲得してきた言葉をもう一度取り戻し、歴史に残り、遠くまで届く周波数を持った言葉を財産にしていこうという大城貞俊さんの論考も、他では絶対に聞けないものになります。

そして具志堅隆松さんは長い間戦没者の骨と向き合いながら、自分や大事な家族が次の戦没者になりかねない状況に立ちすくんでばかりはいられないと次々と大きな行動を起こしています。その決意に触れたいと思います。

こんなすごいメンバーが登壇してくれるので是非聴きにきてほしいわけですが、もうお一方、めったにこういう場所でお話をされない貴重な話者がいらっしゃいます。対馬丸の遭難から生還した、大宜味村在住の平良啓子さんです。もちろん、学童疎開船対馬丸沈没前後の壮絶な海での体験は、すでにたくさん証言をされていますが、平良さんと先日打ち合わせの時にお聞きした話が、私にはとても衝撃的でした。

例えば、北部でも疎開者をたくさん出して被害に遭った集落と、直前にやめた集落がある。何が違っていたのか?例えば、死ぬなら故郷で、と疎開を嫌い、首を横に振る高齢者を説得したのは誰だったか?自分も行きますから、と説得にあたった地域の中心人物が直前になって名前を消し、行かなかったケースもあるという。

それらのエピソードは全て、誰が悪いという話をするために聞くのではない。それは国のため、地域のため、そして家族のための、それぞれにとっては精一杯の選択だったのだろうが、終わってみれば加害の側にいたということで自分を責めた人もたくさん集落内にいたであろうこと。その苦しさも私たちは知っておくべきだと思うのです。

「被害者になると同時に加害者にもなる」というやり場のない気持ちを味わった人をたくさん抱えて、沖縄の戦後の地域社会があったことを知ることで、なぜ騙されたのか?なぜ口をつぐんだのか?それは再生産される悲劇ではないのか?今黙っていていいのか?と考えていく基礎的な力になります。

そんな戦前の話を是非してほしいと、唯一の戦争体験者である平良啓子さんにはお願いしていて、私自身とても楽しみにしています。

沖縄戦の悲惨さをクライマックスにする学びはこれまでたくさんありましたが、私たちは、涙を流すことで終わらず「戦争を止める力を学ぶ」場をどんどん作っていきたいと思っています。まだ「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」の会員になっていない方は、慰霊の日の行動の一つとして、二度とここを戦場にしないための死者たちへの誓いと共に、私たちの会の賛同人になる手続きも一緒に、どうぞよろしくお願いいたします!

では沖縄タイムス掲載の記事をここに再掲いたします。

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今こそ学びなおすべき“戦争を止める力”とは

 5月15日が過ぎ「本土復帰50年」を冠した企画や報道もピークを越えた。復帰とは何だったのか?それは沖縄のメディアが毎年、検証を重ねてきたテーマだ。でも今年は、中央メディアがこぞって「復帰50年」企画を打つと聞いて、私は願った。本土が抱える大きな宿題¬―日本にとって沖縄とは何か?-に、正面から向き合う良質な特集が組まれ、日本が軌道修正する大きな転機となりますようにと。だが、期待は空振りに終わろうとしている。

「日本にとって沖縄とは何か?」。現代史を見ても、本土決戦を遅らせる捨て石にされ、敗戦後は日本の独立と引き換えに切り離され、復帰を果たしてもなお、軍事的植民地の扱いから脱却できない。米軍基地が集中する上に、この5,6年であっという間に自衛隊のミサイル基地が島々に造られた。中国の太平洋進出を止めたい米軍と、それに追随する自衛隊の軍事戦略の一大拠点にされてしまった。
本土に利用され、切り離され、取り戻されてまた、利用される沖縄。心ある本土の人々にとっても、苦しみを強いる側になるのは不本意だろう。復帰までの苦難を越え、ようやく47都道府県の一員として迎えた沖縄が50年経ってなお同等に処遇されていないとしたら、それは彼らにとっても苦痛であり、病んだ国家を是正しなければと思い到るだろう。 
つまり、沖縄とはなにか?という宿題に向き合えば、自国の病巣を直視することになる。復帰50年の節目とは、沖縄のためではない、全国民にとって民主主義や国防を捉え直す最大の機会になるはずだった。

この国の病巣とはなにか。いま最も重症化しつつあるのは、戦力不保持の憲法もかなぐり捨てて軍事費倍増し、敵基地攻撃力保持と核兵器「共有」になだれ込む勢いで戦争当事者への道をひた走っていること。南西諸島に新設されたミサイルが向けられた相手国には、桁違いの数のミサイルがある。「抑止力」で置いたつもりの自衛隊ミサイルが火種になり、私たちの住む島々はハチの巣になりかねない。事実、南西諸島が戦場になる前提で日米合同軍事演習が頻繁に行われるようになった。なぜ77年前に地上戦の地獄を体験したこの島が、再び戦場にされる恐怖に怯えねばならないのか?この間、戦争から平和を学ぶ私たちのあらゆる試みの、何がどう間違って戦前に回帰してしまったのか? 私は28年ここで報道人として生きてきた。戦争を背に平和に向かって進路を取り、占領から解放に向かう報道の仕事に邁進したつもりだったのに、道の先に戦争が立っていることに愕然とする。私たちの報道の何が間違っていたのか、自問する日々だ。

 一つは、基地問題を「米軍が加害者で県民が被害者」というパターン化した構図で伝えてきた自分を反省したい。事件事故を起こし、騒音や汚染を垂れ流すのは米軍だが、それを許し、標的にされる自衛隊の攻撃拠点まで次々に置く日本政府こそが、沖縄県民が安心して生きる権利を奪う張本人だ。沖縄の基地問題の本質は、実はあの戦争と同じく「国防の名のもとに国が沖縄県民の人権を奪う問題」という論陣を、早くから張るべきだった。
さらに、那覇港にオスプレイが来れば大きく問題視するが、自衛隊が今、民間の港や山で突如訓練を始めることに対しては反応が鈍い。米軍と自衛隊の一体化が進む中で、その二つを分けて考える報道は読者・視聴者の危機意識を鈍らせてしまう。
そして、次の戦争を止める直接的な力こそ沖縄戦から学ぶべきなのに、沖縄戦の報道の大勢は悲惨な住民被害の話や戦争秘話に終始した。どうやって沖縄が戦場になって行ったのか?なぜ止められなかったのか?止めようとしたのは誰で、油を注いでいたのは誰なのか?という戦前の社会状況も同じだけ学ばなければ、今が「戦前」である認識すら持てない。
例えば戦争体験者に「もし今、大人のまま1940年に戻れたら、戦争を止められましたか?」と聞いてみる。いやいや、あの時代は物が言えなかったよ、というだろう。じゃあいつなら止められたのか?今はまだ物が言えるのか?と考える力になる。戦争の悲劇だけを繰り返し伝えて、何度泣かせても、次の戦争を止める力としては十分でなかった。なぜ口をつぐんだのか、どうやって騙されたのかを今からでも学びなおさねばならない。

 全国の人々はまず、沖縄の願いに反して復帰後も沖縄を軍事要塞にし、国防について思考停止を続けたからこそ、今リアルに戦場になる危機に直面していることを共有するべきだ。国土を戦場にする覚悟がないのに威勢のいい政治家を当選させ、「西側諸国の利益の最前線だ」とおだてられ、武器を送り付けられる段になって始めて某国の悲劇をなぞっていることに気づいても遅い。恐怖に踊らされず、正義・大義に惑わされず、冷静に次の戦争を止める力を沖縄から学びなおそう。私たちが本気になれば、島土に眠る死者たちは喜んでその知恵を示してくれるだろう。
         
三上智恵   映画監督・「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」発起人

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