今回は「大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会」運営委員・池田年宏さんから、政府が「ミサイル弾薬庫の建設」、「長射程ミサイルの配備、運用」を計画する陸自大分分屯地の状況と反対する市民の活動報告をお送りします。現在沖縄から九州へ、そして全国へと戦争準備の軍備強化が急速に進んでいます。ミサイル弾薬庫が建設される大分分屯地は「住宅密集地の真ん中」にあり、有事になれば「弾薬庫が狙われるのは軍事の常識」と強い危機感を訴えておられます。最後部でご紹介の10分の映像とあわせて、ぜひご覧ください。今回の池田さんの寄稿にあたっては、「ノーモア沖縄戦・えひめの会」運営委員・高井弘之さんからご紹介いただきました。ありがとうございました。
「大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会」発足
大分市のほぼ中央に陸上自衛隊大分分屯地、通称敷戸(しきど)弾薬庫があります。政府はここに大型ミサイル用の弾薬庫を新しく2棟建設する、と発表しました。大分分屯地は住宅密集地の真ん中に位置し、幼児施設、福祉施設、商業施設があり、フェンスを隔てて住宅団地や学校もあります。国道10号線やJR豊肥線がすぐ脇を通り、近隣の小学校5校の区域だけで2万世帯4万人が生活しています。
大分分屯地は自衛隊発足の翌年、戦後の民主化や非軍事化に逆行する動きが始まる1955年に、陸上自衛隊九州地区補給処大分弾薬支処として編成されました。1998年の改称を経て、2018年に第101弾薬大隊(コア部隊)が新しく編成されています。
敷戸弾薬庫に配備されるミサイルは「12式地対艦誘導弾能力向上型(射程を従来型の200キロから1000キロ以上の延伸、地上だけでなく、艦船、戦闘機にも配備できるよう開発中のもの)」をはじめとする各種ミサイルと弾薬です。2023年度の「大型火薬庫の整備計画」によると、全10棟の建設計画予算58億円の4分の3にあたる、実に48億円の予算が計上されています。防衛省は基地の強靭化と継戦能力の向上を掲げていますが、この先、強靭化の名の下にどのようなミサイルが配備されるようになるのか、分屯地関係者にもわからないようです。敷戸弾薬庫は、数年前「保安距離不足」が全国で発覚した施設の一つでもあります。保管する火薬の量を減らすことで対応した弾薬庫を有するというのに、長距離ミサイル用の弾薬を新たに保管することができるのでしょうか。防衛省は「(保安距離の算定は)保管する弾薬の総量ではなく、弾薬庫ごとに定める」と言い出しています。手前勝手な言い分であり、「防衛上の理由」として、その弾薬量が明かされることはないのですから、住民の不安は増すばかりです。さらに、安保3文書により他国への先制攻撃も辞さないとされている中での弾薬庫新増設です。弾薬庫が狙われるのは軍事の常識です。有事の際、現在のところ住民は「避難」するしかありません。しかし数万人が生活を営むこの地域で、どこに、どのようにして避難せよ、というのでしょうか。
今回の大型ミサイル用弾薬庫建設は、沖縄・南西諸島への自衛隊配備=大軍拡と大きく関係していることを見逃してはならないと思います。「防衛の空白地帯を埋める」目的で南西シフトを敷いている、と説明されていますが、自衛隊は「島嶼防衛戦争」についての研究をさかんに行った末、「島嶼防衛は不可能」との結論に達しています。にもかかわらず、現在のような基地建設を行っている背景に、アメリカの軍事戦略があるようです。
中国が経済的にも外交的にもアジアの中心となりつつあり、GDPも2050年にはアメリカを抜く、と言われています。世界のトップに君臨し続けたいアメリカ政府と、敵を本国からできるだけ遠ざけて戦争体制をつくる国防戦略、それに軍需産業の思惑が一致した結果が今回の大軍拡、ひいては大分敷戸ミサイル弾薬庫新増設に結びついているととらえています。さらにこのほど、日本有数の温泉観光地として名高い湯布院にも、290人からなる長射程ミサイル部隊を新設するとの計画が明らかにされました。南西諸島の島々を防波堤、つまり捨て石とし、その補給を九州各地に担わせるだけでは飽き足らず、攻撃拠点にもしていこうというのです。「温泉県・大分」を標榜する私たちのふるさとが、「戦争県・大分」になってしまいます。
原発はどうするというのでしょうか。海を隔てた隣の愛媛県には、四国電力伊方原子力発電所があります。大分市からわずか70キロです。ミサイルを何発も配備しているからといって、日本が攻撃されない保障などありません。また、いくら基地の強靭化が図られたとしても、原発に電気を送る送電線が攻撃されるだけで、原発はやられます。「国民の生命と財産を守る」といいながら、他国からのミサイル攻撃を想定し、大軍拡を図るなど、矛盾の極致です。
そのような中、やたらと台湾有事をはやし立てる政治家がいます。台湾に行って「戦う覚悟」などと、住民の命をもてあそぶかのように戦争を煽る発言がありました。許されるものではありません。「敵国」として想定しているのは中国ですが、一体、日中平和友好条約をどこへ追いやってしまったのでしょうか。さらに、10月には、湯布院から車で20分の西日本最大の日出生台(ひじゅうだい)演習場で米海兵隊との実動訓練(全体で陸自が西部方面隊など2800人、米軍が海兵隊を中心に陸海空軍を含む1400人が参加)が予定されています。『米軍再編に係る訓練移転の一環として、(1)島嶼防衛作戦における陸自の領域横断作戦(CDO)と米海兵隊の機動展開前進基地作戦(EABO)を踏まえた連携要領の具体化を図るために実施する米海兵隊との共同訓練 (2)南西地域を担当する西部方面総監部と第3海兵機動展開部隊司令部以下により実施する国内における米海兵隊との最大規模の実動訓練を行う』とのことです。隣国に対する「武力による威嚇」に他なりません。10月22日には、草の根の会・中津による抗議集会を演習場ゲート前で予定しています。
あらためて、戦争の歴史に学ばなければなりません。大分空襲がありました。太平洋戦争に突入した先制攻撃そのものである真珠湾攻撃で、第一撃を発したのは大分の部隊でした。回天人間魚雷や神風特攻隊では多くの若者が命を落としました。玉音放送のあと、8月15日午後に宇垣隊が特攻「出撃」したのも、ここ大分でした。終戦の70日前、県南の津久見市保戸島では、児童124人が米軍の爆撃と機銃掃射で殺された「保戸島空襲」も経験しています。海軍施設があり、銃後の守りとばかりに軍事協力させられていた結果、攻撃対象となったのでしょう。また、大分市平和市民公園には、終戦間際に大分に疎開してきた一人の少女の孤独死を悼んだ「むっちゃん平和像」が今なお戦争の悲惨さを物語っています。日本の加害性は、他国に対してだけでなく、自国の子どもたちにも向けられていたことを忘れてはなりません。
私たちは、なんとかして戦争を回避させたいと思っています。日中平和友好条約を活かしたり、武漢市との友好都市関係を維持・発展させたりすることも、方法の一つでしょう。
8月11日に開催した当会発足集会には、250名の現地参加と、海外含め30名のリモート参加がありました。さらに、全国各地から応援や激励のメッセージも多数いただきました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。現在、各種講演会を行うとともに、製作した「敷戸弾薬庫問題を知るための10分ビデオ※」を使った住民懇談会の実施を計画しています。一人でも多くの方々にこの問題を知っていただき、「戦争しない叡智」を求めて、運動を広げていきたいと思っています。各地域と情報共有を行いながら引き続き皆様から応援・激励をいただきますようお願いいたします。
※10分ビデオはこちらからどうぞ
https://youtu.be/wOqiGsGXP7k?si=ue-cUyJQzc6iCCYY
池田年宏(大分敷戸ミサイル弾薬庫問題を考える市民の会運営委員)