今回は共同代表の石原昌家さんからの寄稿です。琉球新報の連載「沈黙に向き合う」を転載します。沖縄戦を長年研究され、その実相をあらる角度から明らかにされてきた石原さんが、今回の寄稿を通して、シェルターをめぐる議論への警鐘を鳴らされています。そして注目された映画「島守の塔」に見え隠れする皇国史観、そして絡めとられる沖縄の現状を鋭く指摘されています。ぜひお読みください。
今週土曜日には「沖縄のミサイル戦場化を許さない島々シンポ」が開催されます。11月8日かららはじまった日米共同統合演習は、戦争への道をひた走り、島々の戦場にするための前準備でしかありません。各島々で軍事強化、戦場になることに抗議の声をあげ、行動されている方々をパネラーに招き、この急速にすすむ軍事強化をどう止めていくのか、意見を出し合います。ぜひご参加ください。詳細はこちらをクリックしてください。 http://nomore-okinawasen.org/3417/
77年前の沖縄戦から考える「避難シェルター」とその末路を問う
映画「島守の塔」の依頼コメントシリーズを終えようとしたとたん唖然(あぜん)となるニュースが報じられた。〈先島に避難シェルター/政府検討有事を想定/石垣市など複数候補地〉の一面トップ見出し記事(「沖縄タイムス」2022年9月16日、写真参照)には、特に沖縄戦体験者は恐怖に慄(おのの)いたはずだ。77年前の沖縄戦の悪夢がよみがえったに違いない。
戦争時の避難シェルターというのは、77年前の沖縄戦直前、住民が戦争から生き延びようと、ガマ(自然洞窟)の整備と必死に壕掘りをした「防空壕」のことだ。
防空壕をイメージできない若い世代には、映画「島守の塔」のクライマックスとなった軍民混在の自然洞窟内で軍による住民虐殺などが演じられた場所が、いま戦争準備中のヤマト政府のいう避難シェルターだと想像して頂きたい。沖縄選出の国会議員のなかには、沖縄各地のガマを避難シェルターとして整備することを提案しているようだ。
いま、急を要するのはミサイルが飛び交う前に全知全能を傾け、必死になって戦場化をさける対話を求めることに人事を尽くすことだ。
危機感の温度差
だが、地元二紙が、政府の避難シェルターを報じた翌17日、琉球新報二面にはなんと〈シェルター検討を歓迎/石垣市長「万が一の想定必要」〉という見出し記事には愕然(がくぜん)となった。
ベトナム戦争の出撃基地化した米軍支配下の沖縄でさえ、伊江島住民は米軍のミサイル配備を老幼男女の座り込み行動で撤退させた。だが、自衛隊の琉球列島ミサイル基地化を容認している島々の首長たちの認識はこうだ。〈石垣市の中山義隆市長は16日、琉球新報などの取材に「設置の検討は歓迎したい」「八重山での有事はあってはならないが、万が一のことも想定しなければならない。住民が避難できる施設があることは、住民保護の方策の一つとして〝あり″だと思う」と語った。宮古島市の座喜味一幸市長も「地域住民の不安解消という点では非常に重要なことだ。国民保護法に基づいた避難場所や手段、動線などへの具体的対応とあわせて取り組んでもらいたい」と話した〉(同紙)という。
1966年、沖縄戦から21年の地獄の激戦場から生還した伊江島住民とは異なり、地上戦闘を経験していない地域差なのか。ミサイル基地化を容認している自治体長の戦争への危機意識の相違がくっきり浮彫になる記事だ。
第二の沖縄戦が現実に起こりそうだという危機感から、私も共同代表の一人であるノーモア沖縄戦命どぅ宝の会では、すぐに県庁で記者会見した。「琉球新報」2022年9月21日27面に〈シェルター整備許すな/ノーモア沖縄戦の会/政府検討に抗議〉の見出しのもと、〈台湾海峡や南西諸島での有事を想定して、政府が先島諸島〔八重山宮古地域〕でシェルターの整備を検討していることに対し、ノーモア沖縄戦命どぅ宝の会は20日、那覇市の県庁で会見を開き、設置計画に抗議した。〉〈山城博治共同代表は先島諸島の首長が住民用避難シェルター設置検討を歓迎していることに触れ「沖縄が戦場になることを前提に政治と行政が動いていることに恐怖を感じる」と語った。〉〈同会の石原昌家共同代表は「シェルターの整備は軍と行政と住民が『共生共死』を強いられた沖縄戦と同じ流れで、77年前の教訓から何も学んでおらず怒りを感じる」と憤った。〉
そして21日には、県庁前広場で午前と午後の二回も「避難シェルターいらない!ミサイル基地いらない!緊急集会」を開催し、県民全体で危機感を共有するよう訴えた。私は「15年前、沖縄戦の真実を捏造する政府の動きに抗議するため、11万人も参集した市民の力を、いまこそ、発揮しよう」と訴えた。
数字の独り歩き
ところで、いま全国のメディアの中には沖縄戦体験を捏造する動きもあからさまになっている。
8月15日のNHKラジオ深夜便、午前4時台(正確には16日早朝)はインタビュー番組である。「終戦記念日」に、疎開学童の対馬丸撃沈事件をとりあげていた。沖縄出身の母が引率教師だったという娘さんが、母の体験の語り部活動しているということで登場していた。
ラジオから耳を疑う言葉が飛び出した。なんと母の転住先の栃木県出身の荒井退造沖縄警察部長が、沖縄県民20万人の命を救ったんですよ、と断定的に語っていた。聞き手のNHK後藤アナは、その数字に疑問を呈することもなかった。2021年3月に上映開始した佐古忠彦監督「生きろ」の取材班TBSテレビ報道局著「10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡」(ポプラ新書)も驚きのタイトルだ。私もその映画では佐古監督のインタビューに応じているので、証言そのものが誇張されている内容と受け止められかねない。このタイトルを直ちに変えないと、映画での全証言の価値を落とすと懸念される。沖縄戦の真実を捏造・改ざんしようと企んでいるのか、としか言いようがないこれらの数字を独り歩きさせてはいけない。
内なる皇国史観
映画「島守の塔」の最後は、実在の島守の塔で大女優香川京子さん扮する山里和枝さんが「生きていますよ」と島田顕知事に報告するところで終わっている。考え抜いたシナリオだ。沖縄の内なる皇国史観とそれに絡めとられている沖縄の今の姿を見事に可視化してくれた。
昨年9月、私は偶然、島守の塔を訪れ、仰天した。沖縄の守り神シーサーのように塔の入口には、左手にひめゆり学徒の引率教諭だった仲宗根政善氏の歌碑、右手には北白川祥子氏の歌碑が並んで設置されているではないか。旧皇族北白川祥子氏こそ、沖縄戦で天皇の軍隊に恨み骨髄に徹する沖縄の民に、洗脳教育で培われていた皇国史観を、戦後再形成することに尽力した人物なのだ。当時の報道と新たな「島守」の動きにも次回に触れておきたい。(本稿は琉球新報から転載しました。)
石原昌家(ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 共同代表)